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店の歴史
すだれの語源
材料
仕入れ
仕事の手順

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道具
仕事場
ほかの職人に頼むこと
職人の条件
修業と伝統
職人と使う人
修理
江戸時代のすだれ
若い女の子の発想
値段
使う人の価値観
昔の人と今の人
伝統工芸が生きるわけ
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店の歴史
 
自分は四代目。ここへ来たのは明治何年か。出身は大森のほうで、それから深川へいって、俵町、それから千束へ行って、またこっち。最初は米屋。だから仕事場は米屋の作りだっていわれる。

すだれの語源
 
すだれの材料は三、四種類でいちばんの基本は竹。すだれという字は竹かんむりに廉売の廉で、竹がたくさん並んでいるという意味。正確にいうとそれを「す」といい、それを垂らすから「すだれ」。蕎麦に敷いてあるのは「蕎麦ず」で、「蕎麦のすだれ」とは言わない。立て掛けてるのも「よしず」で「よしすだれ」とは言わない。「すだれ」っていうのは、あくまでも下げてあるもの、垂らしてあるもの。

材料 

材料は竹が基本。あとはヨシ(蘆)、ガマ(蒲)、ゴギョウ(御形)など。ガマやゴギョウなんてのは断熱効果がある。要するにこういうものは中がキビガラ状になって、ちょうど今でいうと発泡スチロールと同じようにできているんで断熱効果がある。それと、乾いたとか、湿気をおびたことで長さが動かない。天気とか雨で伸び縮みするおそれがない素材がすだれにいい。基本的には、あんまり真っすぐじゃない材料を使う。ハギ(萩)なんかは、萩のトンネルっていうぐらいだから曲がっているけど、火であぶって釣り竿みたいにやる。ちょっとあぶると、そこから水分と油が出て柔らかくなる。そこで、こすって艶を出しながら真っ直ぐにしていく。 木だとか竹だとかは日本の文化の素材だから、たとえば木簡だとか竹簡だとか、今いろいろな所から出てくるぐらい長もちするわけ。それが、そこの国、たとえば日本でとれたもんだったら長もちする。ところが外国から買うと、やっぱり風土が違うところで育ったやつは、カビがくるとか虫が喰うとかする。だから外国の材木、たとえばラワンのような南洋材はみんな塗らないとだめ。日本の杉だとか松だとか、そんなものは塗らないでもいい。日本人が日本人と結婚するとたいして違和感ない。まあ気をつけるのは母親を見て、血は水より濃しでさ、だいたいこういう婆さんになるのか。外国っていうのはわかんねえじゃない。外国人といっしょになって、そんときはきれいかもしれないけど、その親までは見る機会がない。風土ってそれとおんなじなんだ。

仕入れ
 
天然のものは竹にしろなんにしろ、だんだん手に入りにくいのは間違いない。生えるところが開発されちゃうからね。前からずっとやっている仕入れ先がある。急に取ってくれっていったって、取りもわからない。いつごろ取っていいか、そういうのがわからない。ついている金具はあんまりほかじゃ使ってない。注文で作らないとない。糸も違う。そのへんに売っている糸じゃない。自分ちで編む。

仕事の手順
 
竹のばあい、長い材料を買ってきて、作るものの長さに合わせて、ちょっと余分に切って、洗って、割って、割った奴を削って、それを乾燥させる。竹の太さに影響されず、細いすだれを作るときは細く割る。細いやつは少ししかヒゴ(籤)ができないけど、太いやつはたくさんできる。

☆割る
竹を割るんだって機械でできない。木は目をかまわずにノコギリで引いちゃうんだけど、竹っていうのは繊維に沿って割っていかないと、繊維が強いから、目にかまわず切ると取れちゃう。

☆削る
太いのを削るのは機械にすーっと通す。うちの中で障子を外してかけるすだれの細いのは手で削る。機械でやってやれないことはないだろうけど手でやったほうが早い。割るのも熟練して、同じものがたくさんできないといけない。一つ、二つ、十本ぐらいだったら、ちょっと慣れてくればだれでもできる。趣味でできる人もいる。でも、職人になるっていうのは、同じものが早く、で、商品になるには、廉価でできないといけない。 割ったあとは削る必要もない、表にやるんだから。でも、このごろは触る人がいる。これはこうなりゃこうなるよっていう理屈がわかんないで触ればトゲが刺さる。今の人はトゲが刺さってどうしてくれんだってくるから、みんな削ってある。だいたい、すだれなんて触るもんじゃない。昔はこんな小細工はしなかったけど、いいものは少し裏をさーっとなでるとかする。

☆編む
すだれを編むとき、天然のヨシ(蘆)とかガマ(蒲:因幡の白兎にでてくるやつ)は、いろいろな太さがあるので、それを選別して、ある程度太さを分けて、用途にあわせて、細いやつは細いやつ、太いやつは太いやつ。天然のものだから全部が同じ形じゃない。なかには人間と同じに、デブみたいなのもいれば、ほっそりしているのもいる、そういうのをちゃんと取り揃えて編んでいかないと、やせっぽちのなかにデブが入って合わなくなる。

道具
 
鋏(はさみ)でも、研ぐとすぐ切れるやつは、すぐ切れなくなっちゃう。で、時間かけて研がないと研げないやつがある。そういうのは一回研いでおくと一年ぐらい大丈夫。鋏でも、鋸(のこぎり)でもみんなそうだね。鋸は、鋸鍛冶ってのがどんどん居なくなっちゃった。目立てはいるけど、目立てやってたんじゃ食えねえ。結局、目立てのお金よりも、使い捨ての鋸の方が安いの。

仕事場
 
前の仕事場はまわりが狭くて、材料がぎっしりつまっていて雰囲気が良かった。いいとこで仕事してるみたいに見えたけど、使いにくかった。ここは作るのにデパートよりも明るくしようと思った。明るいとこのほうがいいね。仕事場は広いほうがいい。今はこういうんじゃないと建てられない。ほんとうは木造で建てたら使いやすいのよ。

ほかの職人に頼むこと
 
自分のところでできないこともある。すだれ屏風の枠は建具屋さん。すかし彫りは彫刻屋さんがする。最初に建具を作っておいて、それに合わせてすだれを入れないと、すだれの糸を掛けるのに、建具に合わせないと端っこに糸が来ない。お料理でいうと「さしすせそ」だよ。何でもあんじゃない、手順が。彫刻とかが今は少ない。一般の人に趣味がないから、わからない。ただ板に穴が明いてんじゃねえかとか、そいう部分がたくさんある。お家(うち)の紋を入れたりとか、中にはそういう人もいるけど、ほとんど少ない。そういう連想が出来ないんだよ。チャーハンの仕上げにさあ、最後に醤油をかけるといいってよくいうけど、まわりにこうかける。ご飯の上にかけたらグチャグチャになっちゃう。で、今の女の人たちは、かけるといいって書いてあると上へかける。で、うまくいかないじゃない。てめえの頭が悪いんだ。まわりへかけて醤油がカリカリ焦げて、それとご飯がまざっておいしいとか、そういう連想がないんだよ、今の人は。

職人の条件
 
うちの職人は住み込み。仕事はやっぱり住み込みがいい。それと中学出ぐらいがいい。で、勉強行きながら仕事するのがいい。相撲の世界はいいね。あれは、大学出が入ってから崩れちゃった。からだでやるやつは、頭がいい奴を入れちゃだめだよね。寿命みじかくなっちゃう。

修業と伝統
 
基本的にいって、最低3年ぐらいやらないと方向が見えない。でも、人間っていうのは、天分っていうのかな、天性とか、人は3年かかるんでも一年ぐらいでできるって人もいる。でも、なんでもできるわけじゃない。ものを早く覚える人は、早く忘れる。なかなか覚えない人は、一回覚えると忘れない。だから、こうじゃなきゃってことはないわけ。世の中もだんだん変ってくるから、たとえば3年前のと今のとはどのくらい違うかっていったら、やっぱり生活様式がどんどん変ってくるから。伝統というのは、あくまでも古いものをやるっていうわけじゃはなくて、持っているものが伝統だよ。先取りじゃないけど、世の中が変ってくる、それにつれて、それに合わせたものを自分が受け継いだ技法で、あとは知恵だとかいろんなもので作る。それが伝統工芸であって、ずっと古いものにこだわるわけではない。(江戸時代の様式をまもり続けるだけでは)古道具になっちゃう。古民具、骨董。でも、古いものも作らなければいけない。その当時のものが修理にくるかもしれない。そのときは先人がやった技術が使われる。学ぶこともできる。そういう機会もなきゃだめ。

職人と使う人
 
それから、自分らだけだと自分の考えで終わっちゃう。使うのはあくまでも消費者だから、消費者のいろんな奇抜なアイディアや、「こんなところをこういうふうに使いたいんだけど」とか、そういうのはわれわれにとってはすごくくやしい。だから、ろくなもんが無いっていう世の中は、ろくな人が居ないってことだ。作り手はいるのに作らせてもらえないんだから。 「こんなところへ、こんなふうに使いたいんだけど、どんなの作ってくれる? で、色はこんなのがほしいけど」 「そんなんじゃなくて、こんなのはどうでしょう」 で、技術的に未熟だとお金とれないから、 「こういうふうにしましょうか」 「わたしがほしいのはこうじゃない」 そいういうので職人っていうのは切磋琢磨していく。それを見て、またほかの人が 「ああ、ああいう使い方があるのか。あれいいなあ。ああ自分も使いたいなあ」 基本的には、自分が発明したとか、自分が考え出してどうだっていうのは意外と少ない。やっぱり、いろんな人に触発され、いろんなところのものを見たり、古いものの修理をして、ああこんなやり方もあるのか。自分が未知のところにぶつかると、それをまた自分のものにして、だんだん巾ができてくる。

修理
 
今はお宝拝見じゃないけど、ああいう骨董ブームで買って、うちあたりへ持ってくる人がいる。で、 「何年ぐらい使っているんですか」って、そこで聞かないとだめ。 「いやこれは、お婆さんが買って、だいじに使ってるんであたし貰ったんで、それ使ってみようと思う」 そういうんだと直してあげられるんだけど、 「どっかの骨董市へ行ったらこんなのがあって、ボロボロになってるからこれ直して」 なんていうのは、直さない。 「古くて良くて買ったんだから、古いまま使いなさい」 とんでもないね。直しちゃってから、 「こんなんじゃなかった」 ものすごくそのへんが人間性が悪くなっている。なんか、いやだなっと思うところが多く出てくるようになった。たとえばこう、すだれを見に来るね。なんていうのか、今は世の中かわったから、こんなのあんまり使わないでしょう?。そういった考えでうちへ来る人もいる。すごく失礼な話なの。それはあなたがわかんないだけで、世の中には使っている人がいいぱいいるんだよっていうんだけど、そういうのはすごく無礼だね。

江戸時代のすだれ
 
江戸時代のものは、長いこと使っていると寿命がくる。竹はだめにならないけど、糸がだめになる。竹は削り直せない。昔ね、すだれを持ってきた青森の方の人がいた。すだれっていうとやっぱり京都だって探して、とにかくいろんなところへ訪ねて、直しができないか聞いた。どうしてもできない。どうしようかな、捨てちゃおうかな、まあいいやって思ってたら、たまたまうちで実演をやってる機会があった。そんときに、 「こういうの直してくれますか」って、 「ええ直せますよ。じゃあ持ってきてください」。 で、直した。それ、そのうちの先祖が神道で、参勤交代で江戸へ出て買ってった。で、お正月の三が日に床の間にそれを飾って、お灯明を上げて、毎年拝むんだって。でも、こんなんなっちゃった。すごい香を焚く。香の匂いがする。表と裏がちがう。裏はちゃんと厚みが出ている。裏と表で削り方の角度が違う。昔のものは技術が高い。 昔の高貴な奥さんは簾台(れんだい)、すだれの中にいた。奥さんなんていうのはぜんぜん下のほう。すだれ越しじゃなきゃ見えない。「ちこうよれ」たってすだれまで。

若い女の子の発想
 
使う人にわかってほしいところがある反面、若い人の無茶な発想ってのもすごい。たとえばすだれを壁に掛けちゃう。 「おじさんそんなこといったってねえ、うち窓がないんだから、壁に掛けるよりしょうがない」 壁に掛けて、それでも夏の風情を楽しんでもらえばいいじゃない。そういうところにちょっとドライフラワーかなんか自分でゆわえちゃったり、一部に状差しみたいなの作ったりさあ。若い女の子ってすばらしい発想をもっている。猿なんかもそうで、彦島の猿がイモを洗うのは若いメスがやった。日本でもそうだよ。原宿なんか若いメスが下克上みたいな洋服着て、あれはお婆さんがやったわけじゃない。昔、ビニールのすだれをずいぶんやったことがある。自分が飽きるんなら人も飽きるんだろうと思ってやめちゃった。あれじゃなきゃできないものを作った。最初はグリーンの色しかなかった。で、水色を作って、それからシャーベットトーンなんて、ちょっと凍ったような半透明な色を作った。色を決めるとき若い女の子に協力してもらった。すごいよ。いちばん敏感なのは中学生とか、大学入ったぐらいの女の子だな。爺さんはだめ。色の道卒業しちゃってるから。

値段
 
職人はあくまで使う人の身になって作る。このほうがきれい、このほうが丈夫とか、使いやすいとか、そういうことを考えながらものを作る。それで、やっぱり作るっていうのは夢がないと。それから、ただ作るんじゃなくて、買った人が喜んでもらわないと。「買ったんだけど高いわよ」って言ったら、何が高いんだって聞いてみる。どこが高いの、なんと比べて高いの、自分の財布に比べて高いのかって。その辺にたいする意識が低い人はすだれって安いもんだと思うから、ちょっといいすだれを買うと高いっていう。大事に、長く使おうと思えばいいすだれをどうしても買うじゃない。普段着っていうのは、まあいいやと思って買うけど、やっぱりちょっとお洒落着で長く着ようかなと思えばいいものを買うんじゃない? 素材とか仕立てが。あんまり、ファッション、デザインにこだわんないで、ずっと昔から伝わっていて、長く着られるようなのを選んでくる。

使う人の価値観 

今までで古いのは江戸時代のもの。このごろはだんだん来なくなった。捨てちゃう。今の人は家がなくなったから。親と子どもはみんな価値観が違うじゃない。たとえば昔の人だと、ものがそんなに買える時代じゃないから、所帯をもって初めてすだれを買ったっていうのが、なんか思い出があるわけよ。いくらきたなくなっちゃっても。そういうものはもう一回直して使おうとか。でも、せがれがそれを受け継いだら、なんだこんな古いもの、親が死んだらせっせと捨てちゃって、さっぱりする。親がたとえば長火鉢を買って、それを毎日晩酌をあたためるのに使っていて、せがれはそういうのがいやでいやで、邪魔だなと思っているんだけど、おやじがそこに座っているからどうしようもない。そういうのは長火鉢にたいしての価値観がぜんぜん無い。そういうのはどんどん捨てちゃう。もったいないけど。

昔の人と今の人
 
昔の人は謙虚だった。たとえば 「便所が隣りのうちからちょっと近くなっちゃった。そうすると見えてさあ、いやなんだけど。作ってもらって便所じゃ失礼なんだけどいいかしら」 そういう奥ゆかしい人もいる。そうかと思うと 「買ったんだから何に使ったっていいでしょう」 って犬小屋の境界にしている奴もいるわけだよ。良く作ったものをさ。それで、修理にもって来て、なんかグジャグジャ犬が噛んだ跡がある。 なにしたって聞いたら 「これ犬が噛んだ」 「犬が噛んだんだったらもううちでやんないでもいいよ。よそで買いなよ」 犬がうちのすだれがいいっていうんだったらしょうがないけどね。なんかこう、すこしは相手の心を思いやるってのがあるじゃない。あの、おみやげだって貰っちゃったいじょう自分のもんだだからさあ、帰っちゃったら自分が嫌いなものだから捨てちゃってもかまわないようなもんで、人間てそんなもんじゃない。 「こないだ貰ったおみやげおいしかったよ」 っていうと、人間ってうれしくなる。あの人に食べさせたいな、そう思って買ってくるんだもの。そう思って買ったことのない人はお義理で買ったんだと思う。われわれの方からいうと世の中はものすごく変った。金は裕福になったけど、考えは貧乏になった。

伝統工芸が生きるわけ
 
われわれはこんな古いのに、なんでここにいるか。ただ珍しいからっていうだけじゃない。やっぱり本質はね、合理性なんだよ。理屈に合ってるから生きてる。

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