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●歴史
二代目っていうか、おやじといっしょにやってきたんですけどね。僕はここ(谷中) で生まれたんですよ。だから六十三年ぐらいここにいましたね。おやじが水戸の人間
で、水戸から出てきて先生のところへ弟子入りして、独立して、戦前からここで。先 生ってのがやっぱり水戸の人で、自分の生まれた所のそばだったらしいんで、先生が
東京で修業しているときに、もしよかったら来ないかぐらいで入ったんだろうと思う んですよね。(来ないか? で入れる技術?)うーん、どうでしょうね。おやじの先
生ってのも昔の美術学校出てますけど、話によると自分も所帯持ってから美術学校入 って勉強したような人らしいですけど。
●屋号
べつに無いんですけどね。仕事のほうの号は、おやじは秀湖(しゅうこ)っていいま す。僕はもう、いわゆる号つけてもしょうがないから号ないですけど、ええ。それで
すから、小さいもんを製作した時には僕は忠義(ただよし)の「忠」を篆書(てんし ょ)でサイン入れたりなんかします。

●修業
(大変?)ええ。僕はこれで四十五、六年やってますからね。僕の後継者っていいま すか、弟も大学でも行って、どっか行ってくれればと思ってたんですけど、一番末っ
子だもんですからね、なんかうちの仕事やるって言うから僕は猛反対したんですけど 、まあ両親はねえ、やっぱりそう言われると嬉しいっていいますかね、まあやったら
いいんじゃないかっていうんで、うちで十二年ぐらい修業さして、そして独立さしま したけど、もうその頃でも彫金っていうのは、若いんでやる人居ないんですよね。お
やじの友達で跡継いだっていうのは少ないんじゃないかと思うんですよ。みんなやっ ぱし、ま、それなりに大変なんですけど、たいした働きも無いもんですから。僕の場
合は昔のことですから、早いうちにおやじにうちの仕事やってくれって言われたもん ですから、即戦力で、好きも嫌いもなくね、入りましたけどね。(やってると愛着は
?)僕は不真面目なんだろうと思うんですけど、そんなに無いです。やっぱり生活に 追われてやってるようなもんですよ。もう少し自分の仕事に興味っていいますか、あ
ったらもっと巧くなるんだろうと思ってますけど。(一通りまでどのくらい?)よく 言われんですけどね、一口に言って一生涯勉強ですけど、いま不景気だ、不景気だな
んて言ってますけどね、やっぱり節目っていいますか、十年、十五年、同じ彫刻やっ てても仕事の内容がね、変りますから、そん時に対応できるとなると、やっぱりそれ
なりの修業をしてないと、もうそこで、せっかく技術があっても、需要が無いとやめ ていかなきゃなんない。だから今自分たちが考えるのに、ある程度センスもあり、ち
ゃんと興味が有るんだったら、早い人だったら三年、四年でね。その仕事をやりなが ら勉強すればいいんですから。父の先生あたりは子供ん時から器用だったらしいです
けどね。もうそれこそ一年なんてかかんないで仕事やりだしたらしいですよ、ええ。 ですから人によってね。やっぱし誰でもが対象になった場合には十年でも、こういう
ような不景気なんてものが押し寄せた場合には、対処できないんじゃないですかね、 ええ。だから、どうにか出来んのがまあ十年。そしてあとは自分でそれなりに時代に
応じたものを工夫していく。うちの弟は一つの例だと思うんですけど、十二、三年う ちで修業さして独立さしました、まだ一人前じゃないんですけど。
●時代
(使う人の好みが変る?)そうですね。この銀器業界は古いっていいますか、ついこ ないだまでは一つのデザインで一つの置物でも、それこそ昭和の初期の品物でいまま
で続いたようなものもありますけど、ここへきて需要の変化が速くなりましてね、ど んどん変りますよね、ええ。それからあと技法的にも。銀器屋さんなんかも戦後は、
駐留軍が入りましたから、そのお土産(みやげ)製品みたいなもの。そのあと朝鮮動 乱とか、兵隊が出入りなんかしたときなどには。デザインからいったら唐草模様なん
ていうのはね、ずいぶん彫りましたけど。(最近、唐草模様は少ない?)いや、多少 でるんですよ。いわゆる銀の写真立てなんて、唐草いまだに彫りますね。そいでも今
はねえ、そっちほうはどうにか需要はあるんですけど、彫る人がもう居ないですね。 ですから、うちの四十二で亡くした弟あたりは、十二年たってもどれでも出来るって
わけにいかないですから、唐草の写真立てなんかを彫ってましたけどね、ええ。
●機械彫り
(彫金はぜんぶ手?)そんなことはないですね。僕は絵も彫りますし、字も彫るんで すけどね、普通ですと字を彫る人は絵を彫れないんですよ。そいでまた絵を得意とし
てる人は字が・・・。そんなもんなんですよね。ふだんの自分の専門の仕事で追われ てるって言えばそれまでかもしれないですけど、大半がやっぱりね、ええ。仲間が来
たときに、ここ忙しいねって言うから、うちは何でも屋だからって言うんですが。素 材は銀にあれしないでね。銀ひとつに絞っちゃうと、ちょっとまた仕事の手が空くよ
うな時代でしょうけど。だからいろんなもの来ておりますけど、ええ。金ももちろん 彫りますけど、最近ですといわゆる真鍮あたりも。
●後継者はいない
いないんですよ。子どももいないんですよ。(弟子はとらない?)とらないですね。 きのうもね、豊島区の伝統工芸保存会の銀器屋さんですけど、最近はお弟子さんにしてくれっていうのが結構くるんだなんていう話もしてますし、うちあたりも来ました
けど、やっぱりこれねえ。今、こういう時代んなって、いわゆる後継者育成だなんて やってますけど、技術のある人が仕事が無くてやめている人がけっこう居るんですよ
、もう一人前の人が。それで今、ここへ来て後継者育成してもそういう状況でねえ、 もう責任もてないですよ。いくら若いもんにやってもらいたくても。
●昔の品物はいい
技術的にはねえ、やっぱし自分たちが昔のものを見せられますとね、昔のほうがいい 品物つくってますけどね。一つのものに対して日にちもかけてますし、とくに彫金な
んてのは水戸彫りっていいまして、水戸あたりはいわゆる昔の武具ですね、刀の鍔( つば)だとか、刀だとか、それにまつわる小物、あれみんな、いわゆる彫金を施した
ものですよね。もちろん作家は居ますしね、そいでまた腕で作りましたから。お金が どうこうっていうより品物でね。それですから、いい品物がたくさんありますねえ。
(彫金のいい時代は?)おやじの前ですかね。昔は彫金っていうのはね、いい生活っ ていいますか、できたんですね。そん時はみんなお弟子さんが先生を慕って来て、そ
れこそ多いとこんなると十人ぐらいで技術を教わりに入って来ましたから。そいです からもう百年前くらいが日本の彫金のいい時だったんです。うちのおやじの先生って
いうのも弟子をあんまり取らない先生だったもんですから、兄弟弟子ってのが居なく て、まあ一人っていいますかね、そんなような状態でだったんですよ。ほかの先生は
お弟子さんが少なくとも五、六人ぐらい、みんな居たんじゃないでしょうかね。(手 間をかけるといいものに?)なります。ですから、ご存知でしょうけど、今デパート
でやってる伝統工芸展なんてますます、いわゆる手間をかけてますよ。その人たちの 生活は僕、知らないですけど技術的にはねえ、今まででしたら半月もかければ展覧会
に入選しても、最近ですとやっぱり、一月から二月かけないと入んないっていいます かね。逆に今やってる人は新技術を、僕に言わせれば工芸品っていうより技術品って
いいますかね、それぐらいにみんな努力はしてますねえ。
●在庫がたくさん
うちではずいぶんあります。あるってことは、展覧会出しても、その代り常に新しい ものを製作しなければならないわけで、そん時に売れなかったらもううち置いとくと
、ええ、それの積み重ねですから。だからおやじ亡くなった時も、兄弟多いもんです から、ぜんぶ兄弟に、おやじが彫ったもんだからみんな持ってけって、それなりの品
物を三、四点づつ持たしましたがね。おやじから言わせればね、作っておけば息子に やれるからっていうけど、みんないうんですけど、残してってもらったってねえ。お
金で残してってくれたほうが(笑)。
●プロがいない
内輪話ですけど、彫金の会にプロがいないんです。いわゆる後継者育成と称して、募 集じゃないんですけど、やりたいっていう人は、やっぱり女の人が多いんですよね。
彫金教室よりはプロですけど、みんな。そういう人がメンバーになって年に一回だか 展覧会やったりしてますけどね。大きい工芸の展覧会で、そこへ常連として出してる
人も、こないだ言ってましたけど、そっちのほうはカルチャーセンターの連中が多い 。ですから展覧会行きますとね、ずいぶん染色だとかが多いんですよね。金工が少な
い。金工になりますとね、そんなにいい加減に、簡単にできないんですよ。
●分業
(金属の調合も自分で?)やんないです。これは、いわゆる精錬っていいますか、そ ういうようなとこでやります。また、鍛金の人に成型をしていただいて、そして彫刻
をする。この花瓶なんかは、いわゆる絞り屋さんに機械で成型してもらうと篦目(へ らめ)ってのが付きますから、またこんど引き物屋っていうのに一皮刃物で剥いても
らうんです。分業です。
●色は金属でつける
塗料は使わず、ぜんぶ色は金属の色でメッキしてあるんです。ピンクは銅の色なんで す。ご存知でしょうけど金に銀を混合させますと、同じ金でも白っぽい金になります
。でこんど銅を差しますと赤っぽいような金に。そいで差し分けて色の変化を付けて るわけですね。仕上師さんっていう分野があるんですけど、薬品で煮込むこともあり
ます。
●自分の品物を作れたら面白い
(仕事は面白い?)いや、僕はそういう思いになかなかさして貰えなかったんですけ ど、やっぱり生活を忘れて自分の品物を作ったら面白いでしょうね。作家も展覧会が
あるから、売れる売れないは別として、やっていくんでしょうからね。グループ展な んかもやったことありますけど、これで終わって生活ができたら面白いねってみんな
言いますけどね。
●職人と作家
(作家ですか?)いや、それがほんとに難しいところでね、うちあたりその間をいっ たのかなって感じしますけどね。まあ、やっぱり作家として展覧会一本でいくと生活
ができないですしね。僕は男七人兄弟なんですよ。そいですからね、やっぱり普段は お得意さんといいますか、いわゆる銀、金が多いですけど、彫刻を頼まれたやつをし
て、工賃仕事っていいますか、彫刻代としていただいて。その反面、おやじは作家っ ていいますか、展覧会を多少やっていましたけどね。おやじ亡くなってから、いちお
う台東区の無形文化財だったもんですからね、区のほうに親父の作品を寄贈さしても らった時も教育委員長に訊かれましたけれど、職人と作家の間いったんじゃないかと
思ってますけど。
●得意
蹴り彫りっていう彫り方です。彫刻で細い線を彫っといて、その線を生かしてちょっ と上げてくと少しボリューム感が出る。それはよその人があんまりやってないってい
いますかねえ。
●工賃仕事が多い
僕の場合でしたら八割から九割が、いわゆる工賃仕事っていいますか、お得意さんか らの加工が多いんですよ。おやじは六割から七割が、日本彫金会って会の展覧会に出
して、まあ売れてっていいますか、買っていただいて、ええ。おやじは、そういうよ うなスタイルでいったみたいですね。(いま業界は?)悪いんじゃないでしょうか。
きのうもおやじの友達の奥さんの通夜、告別式行ってきましたけど、そん時に銀器組 合の理事長と、僕と同年配で昔から知ってますから、仕事の話なんかもちょっとしま
したけど、悪いんじゃないでしょうかね、ええ。
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