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| ●桐に布(きれ)で絵を描く特許 まあ特許ということになるんですけどね。職人として、はたしてそういう特許なんて いうようなものがいいか悪いかっていう問題になるでしょう。「まあいいじゃない、 技術を売る商売なんだから、なにもそんなところまで」というふうにお考えになるか もしれない。あたしも当初はそう思ったんですよ。自分の技術を探求して、そいで人 様に喜んでいただいて職人冥利につきるじゃないかという考え方でいたんですが、や っぱりある程度市場に出てくるとマスコミもあるし、一般のかたも興味ある、いろん な角度からこの商品を研究したいとか、見たいとか、いろんな考え方をみなさん持っ ているわけですね。そうなった時に、さあ来いと、あたしはこれは一度は商売にしな きゃならないんだっていうことになるとね、うーん職人で腕がどうの云々を言ってら れないと、まあとにかくこれを自分のものにしたいと、には手っ取り早いとこ、そう いう形を取りざるをえないんじゃないかということで、実演をしながら頭半分そっち ですよ。お客様と接客をしながら、この商品の説明をしながら物を作って、その内の 半分はこれをなんとか特許にできるものならと、あたしのもにしようという考え方ね 、それが強かったもんですから、一週間の実演販売のあいだにもう頭ん中ぐるりぐる り巡って、一週間が長かったという感覚があったんですよ。それで、ある程度の自分 なりの商品の出来上がりかたというようなものを頭ん中に整理して、それで特許庁に 飛び込んだと。
●先代からの技術を現代に生かす(ある日思いついた?)いや、これはねえ、先代がこれに類するような商品をやって たんですよ。ということはどういうことかって言うと、これ正絹の着物地なんですよ 。特別何百年も何千年も前に使ってた布地ではないんです、ごく最近の布地なんです よ。先代がやってた時は、もう今から五十年以上前ですね、あたしがオギャーと生ま れてから気づいたわけですから、その頃は桐の箪笥の表面に布地を見せるために、こ う真っ角なら真っ角と、その布に応じたスペースでそこへ木目(きめ)込みをしてた と、布を見せるという形でずーっと商品を作ってたわけですね。だけど時代の背景、 流れとしてそんなものがワッと売れるわけでもないし、特別に珍しいということでも ない。ところが高度成長に乗った、さあいざという時に、その布地の大事さに気づい た。古代布ですからそう沢山無い。古着屋へ飛んでっても当然分けてくれない。これ は学校の教材にするんだと、こんな細かくされては困ると、いうようなことをたびた び言われて、まあどうしようと。それじゃあ、装飾品に限らず、すべての流行は京都 からだと思っていましたので、京都へこの商品を持ち込んで、祇園の舞子さんたちの 着物地を分けていただこうと。使い古しを、何回も染み抜きしてもう使えなくなって しまった着物、半襟、これを全部買い求めて、それを細かく刻んで品物に使っていた と、いうことですね。布の大事さからこういうような絵に変ってったということにも なるかもしれませんな。布を見せずに、今度は技術を見せていくと。あたしが考える に、伝統工芸っていうのは、その技術をね、現代に合わしていくものだと思ってるん ですよ。ですから彫るには変りはないんだし、この技術を継承していくためには方向 を変えていかなきゃいけないと。ただ布地をはめていくんでは面白くないと、布を見 せていくんでは。今度はその彫りをもうちょっとね、鍛練していくとこういう絵も彫 れてくるだろうと、いう発想の転換、これがあたし伝統工芸だと思うんですよね。 ●布探しの苦労 京都の舞子さんの着物地でも間に合わないと、じゃ今度どうやっていくんだと。あた しの子供の頃には呉服屋さんの見本帳が、今でこそこんな名刺ぐらいの大きさの見本 帳ですね、ところがその頃はまだまだ着尺(きじゃく)の見本帳なんですね。べろっ とめくって一枚、そう片袖分ぐらいの見本帳がこんな積んであった。その見本帳って いうのが同じものが無いわけ。それを呉服屋さんから安く買い取って、でそれを使っ てた時期もある。だからもう布という布、あらゆる所から探し集めて、そのつなぎつ なぎを作ってきたということですね。でも呉服屋さんだってそう何百軒もあるわけじ ゃないですから、それじゃ今度は革、ハンドバッグのプリントの革、あれを革漉きで 薄く鞣(なめ)して、それを彫った部分にはめていこうと、いうことでやったことも ある。ところがプリント柄ですから同じものがある。そうすっといくつも同じものが 出来ちゃうわけ。これは面白くない、ということと、それから革と桐とのバランス、 これがどうもしっくりいかない。和洋折衷ごっちゃごちゃみたいな感覚なんで、やっ ぱり布のほうが桐には合うと、それでまた元へ戻ったんですよ。っていうのはね、い ろんな海外からのブランド物が入ってきた関係もあるんで、あたしどもでも洋風を採 り入れて日本の生活様式に合わせていこうと、いうようなことも含めて使ったんです が、結局やっぱりだめだったんですよ。それも特許の範囲内に入っていますけどね。 今は、まったくそれは考えずに布地を使ってるんですけども、見本帳も使い切っちゃ ったと、どうしようと。まあ幸いあたしどもここまできて、百貨店さんとのお付き合 いがある。じゃあ当然、呉服屋さんが百貨店に入ってることだから、そこから反物を 仕入れようじゃないかと、いうような形を現在もとっているわけですね。だから布を 調達するという今日(こんにち)までの苦労は、紆余曲折あったけども、これもやむ を得ぬ時代の流れだなあと。布で百年経てば古代布とよく皆さん言いますけども、百 年ぐらいの着物地でどんな差があるかなあと思うんですが、やっぱり背景見るとね、 その時代、その時代に応じた、一時大正ロマンとかっていう、成人式のお嬢さんがた が着る着物地が非常に地味でずっとなってたでしょう? あれはやっぱり日本の景気 を象徴するようなもんですな。だからね、物の作り上げていく流れというのは、時の 流れの道すがらっていうかね、そういうものを感じるね。 ●子どもたちが大工になる 伝統工芸っていうのは、ま技術を探求して次の世代につないでいくっていうことは確 かに当たり前のことなんだけども、その時の技術をいかに今の時代に合わせていくか 、そうして自分の能力というか、技術をちょっとでも広げていくっていうことを考え ていかないと、これは消えてっちゃうんです。若い人たちが職人でいるけども、もっ ともっと大勢居たわけですよ。ところが時代の流れで、うちのおやじ十時、十一時ま で仕事してんのに、なんだよこのざまはと、やっと飯食ってんじゃないかよと、そん なら俺はネクタイ締めて、学校出てどっかへ勤めに行っちゃう、っていうような子供 たちが多かったわけですよ。まあ、あたしどもも含めて。親の背見てなんとなく育っ てきちゃうと、そういうところがあると思うんですよ。だけど今こういう時代になっ てくると、手作り商品のぬくもりというか、良さというか、そういうものがまた認め られて、といういい環境の中で物作りができてきているわけでしょう? だからここ でまた残ってくるだろうと思うんですよ。昔は子供たちが、学校出たらどうなんのっ てったら、あたしはスチュワーデスになるとか、ぼくはパイロットになるとかね、そ んなこと言ってたのが、いま大工さんになろうとかなんとか言ってるわけですから。 これもやっぱり時代の背景、その流れですよね。 ●花柄のティッュボックスが京都で売れた (弟)あれは、はしりだったんですよ、うちはねえ。今はティッシュケースのカバー ってのは沢山あるんです。当時は何にも無かったんです。ティッシュペーパーを一枚 使うってことが大変なことだったんですね。(昭和何年ごろ?)えーとねえ、四十年 代の頭ごろ。ティッシュペーパーそのものがあんまり普及されてなかったんですね。 一枚いくらでしたね。(作って京都へ?)(兄)持ってったら、こんなものだめだと 。で、あのときティシュケースが百円したかなあ。その時の箱が千五百円ぐらいです ね、たしか。それでやっぱりかぶれてるから、ティッュボックスとしてローマ字で書 くわけですよ、絵じゃなくて。そしたら、こんなもの売れるわけがないと、今ティシ ュケースいくらだ、だいいちこれ使う人がどこにいるんだと、こんな勿体ない紙を、 そんなことだったんですよ。じゃまあいいや、とりあえずこれ委託でもって置いてく れないかと、そん時にもっと細かいものが何点かあったものですから、いっしょにそ れも持ってった、ということは、先程もあたしが言うように、とにかく流行の先端は 京都だと、京都でだめな物はだめだと、いうような感覚がちょっとありましたから、 で持ってった。ま、そのお店というのは、京都では老舗な、なかなか大きなお店なん ですよ。四条の南座の前のお店ですからね。先代から(取引を)やってた店ですから 、ここへ持ってってだめならしょうがねえよと。で、置いてきた。やっぱり二、三週 間したらポツン、ポツンと(注文が)来た。おっ、来たじゃないか、それからですよ 。もうめっちゃめちゃだった。 ●景気は悪いけど商売になる 景気を見るのに、まあいっときは、ああ俺もこんな売れなくなっちゃって、これでも って俺も商売変えしなくちゃいけないかなあって思う時もあれば、うわぁすげえなっ ていう時もあるし、まあそれはその時、その時によって、商売なんてそんなもんだと 思うんですけども。つどつど、胸痛め、頭痛めしながら今日に来たということが実感 だろうね。でも確かにこんなもん贅沢品であってね、景気が悪い、こんなもの何にも 要らない、という真っただ中にいるわけですけども、でもまあ結構商売になるし、忙 しい。 ●学校の図工は5 先代から百二十何年。先々代が長次郎っていうんですよ。(兄弟とも子供の時から? )(兄)小さい頃からです。(弟)昔はね、住み込みからなにから職人が大勢ね、い たもんですからね。もう目の前で作っているのを見てる。小学生が自分の道具があっ て、こうやって鉋かけて。(兄)学校の図工は5ですよ。(弟)夏休みの宿題なんて 困っちゃいますよ。みんなが手伝っちゃいます。いいのが出来ちゃうんですよ。(兄 )そうすると、「宮田お前また買ってきたのかよ」、「買ってきたんじゃない」って 。(笑)(弟)先生が返してくんない。これは学校へ残せって、自分が貰っていっち ゃう。(笑)
●うちの商品は安い(弟)いま並んでる商品っていうのはね、少し(値段が)こなれてきてんですよ。百 貨店とかのお付き合いがあって、この値段でこの大きさじゃなかなか売れないとか、 というのはだんだん僕たちも知識を得てきて。昔、おやじだとかおじいさんの頃には 値段構わず、手間構わず、いいもんを作ればいいっていうやり方でしたからね。だか ら一般的じゃなかった。もう普通の人は手が出せない。たしかに素晴らしい品物です 。(値段をこなすにはいろいろ工夫?)(兄)逆算していくってことだね、極端に言 えばね、三万円のものを逆算してってどれくらいの手間賃でとるか、計算を立てなき ゃならないですね。(弟)伝統工芸の職人が、目一杯技術をこう出してるけども、逆 にそこまで行っちゃうと売り切れなくなっちゃうからね。やっぱりお客様のニーズと 値段とってのがあるから。(兄)だから、どうしても、いい物を時間かけていいから 作ってくださいよというのは、そりゃ別ですよ。(店の品物は想像したより安いです ね?)(兄)だから特別にね、お客さんがこんな物を見たいと、おっしゃるんならそ れもまたお見せすることもできますしね。お客様のご希望によりどんな物でもお作り いたしますよと、もし昔の見本があればお持ちくださいよと、それと同じものを作り ましょうよと、いうような形をとっていかなくちゃいけないんじゃないだろうかなあ と。(弟)先代のやってた頃の古代布、何百年も前の古代布、それを使っちゃいます とね、古代布の代金のほうが本体より高くなっちゃう、とても使いきれない。(兄) あるんですよ、そういうものがね。(弟)昔その、古代布と現代の布と切り替えの時 にですね、骨董屋さんに頼んで、そういう物が出てきたら知らしてください、そうし たら新橋の骨董屋さん、出ましたからどうぞ来てください。当時いくらだったかな、 二百万って言ったかな。打掛(うちかけ)ですね、綿を抜いてあって、もう博物館に 行くようなものです。それが二つ出たの。それで行ったんですね。そしたらさ、どっ かの美術大学の先生もやっぱり声かかってて、同時に顔合わした。そしたら「お宅は どう使うんですか?」「うちは刻んで貼っちゃうんです」「待ってくださいよ」って 話になっちゃって、骨董屋さんのほうも「やっぱりこれねえ、もう出ない品物(しな もん)ですよ、こういうのは。何百年も前の打掛けですから」っていうことで、「そ いじゃうちも保存されるほうがいいから、商売で刻んでちゃまずいから」って下っち ゃったことあるんですよ。(布の苦労が一番?)そうですね。これは顔料ですからね 、絵の具の感じですからね。(弟)ピンクの着物、着る人いないですよね、なかなか 。若い人でも地味でしょう。そうなってくると市販されてるものが無いんですよ。で 、ここに赤とか紫とか強い色、無地のがありますね? これはまず着る人いないです から。これ全部、白絹(しらぎぬ)染めてるんです。赤い絞りなんかもそうです、あ れも無いんです、着る人いないです。(布を木に貼る技術は古い?)(兄)昔からあ る技術です。ま、技術と言うか、布地を前面に付けていくという形ですから、彫って 布を嵌めていくっていうことは昔からあるんですね。ただ、こういう風に絵にしたっ ていうことは、もうわたしどもしか無いですから。(先代の頃はデザインが無い?) (弟)そうです。戦前は布が重みがあって素晴らしかったんです。ですから、布をた とえば四角に貼ると、後ろにもう一枚こう重ね敷きするんです。そういうことで充分 、布が値打ちがあったもんですから引き立ったんです。(それを箪笥に?)花柳界の 、そっちの方の分野でね。ところが現代の物に切り替えて、同じ事やると、やっぱり 布が劣っちゃうんですね、駄目ですね。(立体感がある!)(兄)そうです。篆刻( てんこく)ってゆって、よく看板に彫りますね、あの彫り方と同じことですから。そ れは継続してつながって絵になってるってことだけですから。 ●作り手も十人十色であっていい (デザインは誰が?)それは、うちに社員が大勢居ますから、みんなそれぞれ思い思 いの絵心があったり、年代がずーっとありますから、年代なりの図案が出てくる。( 職人も面白い?)面白い! (弟)ぼくらはね、若いのが作ったデザインをけなしち ゃうんですね、「お前そんなの!」、ところが売れちゃう。(兄)昔はね、そうじゃ なかったんです。「こうしろよ」で通ったんです。そうすっと全部同じカラーだった んですね。お客さん十人十色っていうことんなると、やっぱり作り手も十人十色であ っていい訳ですよ。(弟)ほんとに蓼食う虫(も好き好き)じゃないけど、(兄)こ んな物をよく買うなって思う。(お宅の職人は指物よりもデザイン?)そうのが多い です。もちろん作るのはほかに居ますけどね、職人が。(大掛かりにやってる?)え え、箪笥材料の調達からやってますから。 ●これはあたしんとこ以外に無いという信念 (外人の好みは?)やっぱり蝶々とか花ね、桜とかね。(今、伝統的な物が新しい感 覚がある?)うん、ありますけど、わからないねえ。「うわーきれいだー」って言っ ておしまいね。それが果たしてどうなってるんだというところまで行かないね。(弟 )やっぱり育ってきた環境ってすごくありますね。お爺さんお婆さんが居る家庭で育 った子供と、お父さんお母さんがサラリーマンで鍵っ子みたく育った子供じゃ全然ニ ュアンスが違う。人形屋さんなんかもよく言うけども、小さい時にそういう物が周り に無かった人っていうのは、やっぱり手が出ないんですよね。今あまりにも使い捨て 商品が普及しちゃってるでしょう? その辺のところのギャップがあるわけですよ。 いい物は確かに高いし、使いいいし、さりとてね、これを今度自分の倅にまで使わせ てやりたいっていう。昔はそうだったけども、今はそうじゃない。倅は倅でまた考え 方があって、自分の物が欲しくなっちゃう、ってなるわけでしょう? それに値段の ギャップも違いがあることだし、その辺が難しいとこですな。だから特に手作りって いうのは、半永久的に使えるっていうのが、まず評判として作りますから、うん。そ の辺のところですね、うん。(品物に屋号が入ってる?)入ってません。これはあた しんとこの商品ですから。絶対入れません。これはあたしんとこ以外に無いという信 念ですから。このデザインは箱長っていう名前と同じだと思ってます、だから付けな い。いっときはね、付けてくれとゆってだいぶ言われたことがあるんです、小売店か ら。でもその手間も面倒なんです。これ何百とあるのを、一々うちの銘を入れていく っていうのが、やっぱり一人か二人はどうしてもそこに経費として、雇わなきゃいけ ないでしょう? その経費を飛ばすにはどうしようかと、ならばその前にこの商品の 類似品を外すと、いうことのほうが効果的にいいだろうと。だから今は、ここにこう いう図柄が付いてるっていうか、付加価値が付いてる物はすべて箱長の商品であると 、いう風に考えてます。 ![]() ●素人さんの考え (あの仏壇はペットでも使える?)(弟)それがすごい当たりなんですよ。(兄)や っぱりね、人間様はちょっとこれはと思うことはあったんですよ、ところがペットが いいと、であの小さいのを作ったんですよ。ところが、作って販売に至ったらば、そ うじゃない。(人間が使う?)ちょうどいい。(弟)そこで言えなくなっちゃうんで すよ、「これペット用です」って。(兄)「わたしのうち狭いからこれくらいの仏壇 探してたのよ」とこうなっちゃうんです。でもうペットやめちゃったんです。部屋の 自分のスペース、それとあとは仏間というのが嫌だと、やっぱり明るく楽しい方がい い。こういう発想に変ってきちゃったの。だかた今はペットと付けない、ぜんぶ仏壇 の大、中、小です。(笑)ペットにも使えますよって、ペット持ってるかたにはそう 言う。(弟)犬の写真持って来たりして、「これを似させて木目込みしてください」 って。(仏壇以外の使い方もある?)(兄)いや、別にいいんじゃないですか、物入 れにすれば。(弟)中にチェーンを下げるようなのを付ければ宝石箱になっちゃいま す。(兄)それで閉めとけば何だか分からないし。だから素人さんの考えは、「ああ 、あんなの」って言わないで、一応心に留めておくべきですね。(店に来るお客から もヒントが?)ありますね。こんな物が欲しいとかね、昔こんな物があったとかね。 (ホームページに店に来ていろんなこと言ってくれるよう書いておきましょう!)え え。(客層は?)やっぱり中高年ですね。だいたい三十代後半から四十代、五十代、 まあずっと上は高いですね。でも時たま非常に若い女の子が、当然お嫁に行くくらい の子が、「どうしてもこれ、お父さん持って行きたいから」って両親連れて来たりね 。ま、それはその家庭の感性なんでしょうな。(弟)この間も居ましたよ、若い子で 箪笥を買いたいんだけど着物一枚も持ってないっていうのが。何入れるんですか? って聞いたら、ブラウスとかセーター。で、一番上の引出しに箱を三つばかり作って くれ。箱三つで引出しが一杯になっちゃうんです。その中に指輪やネックレスが入る ように宝石箱を作ってくれって。(兄)だから、こういう形の物が欲しいんですね。 ただ中に入れる物が違う。桐ですから、保存箱ですから、何をお入れになってもいい とは思いますけどね。(生活様式が変れば使い方も変る?)当然変りますよ。それは こっちでね、その辺のところを、今の生活様式に合わせて作っていく、ということで すよね。それあともう一つは、この景気の中でどれくらいの財布の紐をほどくか、緩 めるか、銭出して買ってくれるかっていうところまで、こっちが寄ってかなきゃなら ない。そこで商品の種類というか、形というか、も変ってくるし、そこへ費やす技術 も変わってくる。だから、それはそれとして生活の糧として無きゃならない。その五 分の一なり、四分の一は技術を探求していく。という風にして分けて、いかなきゃな らないんですよね。それはずーっとそうでしょう、永久的に、そういう形をとらなき ゃならない。その辺をきちっと守っていかないと、この商品が粗雑でいい加減な、一 つのおもちゃで終わってしまうと、通り過ぎてしまう、消えてしまうという時代にな ってくると思うんですよ。ただ、有名な料理人の店がマスコミで取り上げられて客が ワーっと来て、自分で作らないから味が落ちるのと同じで、その辺が難しいところで すね。でもやっぱり銭儲けはしたいし、そうかと言って物の探求はしたいし。銭儲け ばっかり走ってったんじゃ面白くないし。 ●一年生は一年生の仕事をすればいい あたしもねジリジリしちゃいますよ。職人では駄目なんですよ、もう。いやあたしも そうだったの、職人なんですから、当然。ほんとにもう借金しょ(背負)った両親か ら生まれたんですから、まったくそういう所をくぐっては来たんですが、だけどやっ ぱり、銭儲けするには一人じゃだめだし、二人じゃだめだし、三人、五人、十人居た ほうがいいんだし、物の考え方も大勢居たほうがいいんだし、そこでパチパチパチパ チやって結果出したほうがいいんだし、ということになると、一介の物作りの有名人 で終わりたくないんですよ。だから名を取るか、銭取るかってことになれば、やっぱ り銭取りたいね、あたしはね。(銭の中にも技術?)それは当然付いてるものだと思 うんですよ。職人が今いちばん問題なのは、なんとかしたいと、じゃあ弟子でも入れ たいと、その弟子に教え込むと、三年で何とかなると、もうちょっとで売り物になる と、そこで辞めて行っちゃう、この繰り返しなんです。だから私はこうしてるんです 。一年生は一年生の仕事がある。ということは、完成された商品をこなすのに十年か かるとします。一年生は一年生の仕事をすればいい、で二年生は二年生の仕事をすれ ばいい。毎年一人ずつ社員を入れていくとすると、十年経てばこの商品が出来る。な にも一遍に十年の仕事やれと言わない。だからそういう積み重ねをする間にね、完全 な商品が出来る職人が一人出来てくる、次また出来てくる。それは人を雇う銭も大変 かもしれないけど、昔は小僧でもって三年、五年無駄めしを食わさなきゃならない時 代でしたよね。それはそういう時代で、何とかなったからいい。今は給料やんなきゃ なんない。だったら一年生は一年生の仕事を目一杯やってくれればいい。それで親方 がね、その仕事のぶんだけでも、「お前が居たおかげで助かるよ」と。それは当然二 年になれば二年までの仕事、三年になれば三年までの仕事が出来るわけじゃないか。 親方は助かるという感覚を持っていかないと、三年で一人前んなって、何とかめし食 えるようになって、俺もいくらか楽になったな、と思うとパッと消えてっちゃう。だ から物の考え方だと思うんですね。だから、店に並んでる物は、だれでも手が届く物 を作らせればいいわけです。自分で一から十まで作った物を銭に換えるっちゅう喜び っていうのは凄いもんですよ。もうドキドキしちゃいますよ。わたしも何度かそれを 持ってお店(たな=問屋)へ行ったことがあるんですよ。で、銭貰って帰って来てね 、あの商品返って来るんじゃないかと思ったこと何度もある。だけども何とか買って くれてる。それは親父があとをフォローしてくれてるのか、それは分かりませんよ。 だけど、自分はあそこの店に商品売ったことがあるということになるわけで。だから 今の若い者がうちの商品を作って、こう並んでますね、自分で分かるんだから、俺の 商品あそこへ行ってる、誰の所、誰に売ったとか。実演販売で物を作ってくでしょう ? そうするとお客様がこう居て、「あ、それ出来上がったら私にください」「ああ 、私にもください」って言や、夢中で作りますよ。そうすることによって自分の技術 が、うちで誰も居ないところで一人で作ってるのよりも、みんなの目線の中で作って るのが、どれ程上達するか。だからあたしはみんな若いやつを、百貨店出てけよ、実 演販売出てけよって言うんです。うちで居る三倍から五倍くらいの力出ますよ、目線 があるんで。だから、量より質と言うかね、ただやたらにバタバタやってるんじゃな くて、目線の中で自分の神経込めて作ってる者のほうが絶対早いですよ。だから今も うみんな野放しにしちゃってる。で、自分で責任取れよって言う。 ●自分の名前消しちゃっていい 職人はほとんど誰の誰兵衛でしょう? お店の屋号じゃないでしょう? あたしは自 分の名前消しちゃっていいって言ってるんです。ぜんぶ箱長(はこちょう)で行けっ て。誰が出てってもいいから。で「この商品作ったの誰ですか?」って言われたらば 「あたしですよ」でいいじゃないか。あくまでも箱長の商品なんです。責任はぜんぶ 俺、取る。いう風にしてずーっとやって来てますから、箱長は知ってても宮田知らな い人がずいぶん居ますよ。それでいいんですよ。だから、三人居れば、五人居れば、 六人居れば、居れば居るほど屋号に行くべきでした。(かなり異端者?)え? えへ へへ、だからずいぶん敵いますよ、あたし、あっはっはっは。だから、全国まわるで しょう? もう沖縄から北海道まで。ですけどぜんぶ屋号ですよ。屋号で通していけ ば全国制覇です。どこ行ったって箱長が来てるって分かる。個人なんて、同じ名前が 数、何万人いるんだか分かんない。あと顔と照らし合わせなきゃなんないです。そん な悠長なことやってられない。もっと極端に言えば、もっと変った名前でもって思う ぐらいですよ。地方で東京の有名な店の名前をつけてる店があるじゃないですか? たとえばあたしがそういうとこ行ってね、箱長って屋号の一杯呑み屋があったら、面 白いね、入ってみたいね、あっはっはっは。 |
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