edocraft-header

ここは八十年ぐらいでしょうかね
金箔をほどこした贅沢な足袋
六割から七割くらいまで誂えですね
爪先のところ、難しいですね
今は都内にね、十軒も無い
足首がこういう風に、肉が落ちたり、細くなったり太くなったり
細ーく、かっこよく
ただやればいいってもんじゃない
やっぱり粋(いき)に履いてもらいたいなあ


Back to product page
ここは八十年ぐらいでしょうかね
(めうがやさんは歴史が長い?)場所は、浅草の五丁目からこっちへ移ってきたんです。ここは八十年ぐらいでしょうかね。(ミシンも年季入ってる?)コンピュータミシン使ってっていう作り方してませんからね。だから、あと三台あるけど、古いのばっかりですよ。(伝統工芸は手縫いでなくミシンでもいい?)はあ、かなり手縫いなんですけどねえ。ミシンが入ったのが明治の頃、ポツポツ来始めたんですけどもね。でも糸を買い置きするって無いんですよね。(鍛金では電気を使うメッキが駄目だけど?)ああなるほどね。足袋はそういうことは。どこのうちも今これミシン使ってますからね。何軒しかもう無いんですけども。(ミシンが無い時期は大変だった?)その頃は皮だったですからね。最初は手で。(皮?)ええ。今、綿ですけども、手でやってた。

金箔をほどこした贅沢な足袋
(足袋の歴史は?)二つの系統があるんです。一つは奈良時代の礼装の「しとうづ」(※「したぐつ」の訛り)で、白絹で作られました。もう一つは足の保護や保温のために皮で作って、室内よりも室外で武家や庶民が履いていたもので、これが「たび」の始まりです。(たびという言葉は?)底が一枚の皮なので「単皮」と書いて、これが「たび」に変ったらしいですね。(木綿の足袋は?)定説では1600年前後に、茶人の長岡山斎の老婆が作り、茶会で使ったのが最初となってますが、もっと以前からあったとも考えられています。数寄屋足袋と呼ばれて茶会で流行り、金箔をほどこした贅沢な足袋もあったそうですよ。(皮の足袋を作る伝統はもう無い?)いえ、今も有ります。言われれば、作りますしね。(履く人が居る?)居ます、居ます。今、利用されるのはね、流鏑馬(やぶさめ)とか、昔の衣装を着てるでしょう? ああいう感じの方が多い。あとは完全に趣味の人で、なんか人と同じのはどうもっていうかた。(流鏑馬の足袋の指は割れてない?)小桜(※こざくらおどし=小桜模様に染めた革で織った縅)とか着ている衣装があるんですよ、鹿皮でね。それで小鉤(こはぜ)を付けたり、紐で。それはもうお客様の希望で。(綿の足袋ができてから草履や下駄で履くようになった?)ええ、股が割れるようになったのはその頃じゃないですか、ええ。(それが明暦の大火のあと?)室町から桃山時代のようです。

六割から七割くらいまで誂えですね
(いろいろな型がある?)うちは、本当は誂えが多いんですよ。既製品もあるんですけどもね。六割から七割くらいまで誂えですね。(どうやって寸法を取る?)それは何ヵ所か、十何ヶ所かあるんですよね。長さと幅とか、足首周りとか。約二十ヶ所ぐらいありましょうかね。(誂えの値段はどれくらい高い?)例えばどのくらい?・・・三割ぐらい。(高くても履いた感じが全然違う?)うーん、既製品で合えばね、あっちの方がいい場合もありますしね。必ずしも誂えが・・・。(お客は個人で型をもってる?)そうです。(何千人の型を持ってる?)そうですね、かなりの数、お預りしてますね。(そうすると電話一本で注文できる?)ええ。(日本全国?)そうですねえ。まあここは向島、花柳界ですからね、ここはやっぱり比較的多いですけどね、地元で。(その人に好みの柄があったりする?)うん、柄で作る人と、踊りの先生とかお茶の先生は白足袋を作りますけどね。圧倒的に白が多いです。あと麻で作ったり、キャラコで作ったり。八割は白足袋になりますね。(柄物の生地は足袋用?)うんん、これはうちで染めてもらってるのもありますし、あとは仕入れて。後染めですとどうしても色が落ちちゃうんですよね。お客さまのほうで、いろいろ大変なんで、なるべく染まったものがいいわけ。(既製品で靴のような二十四半とか二十五の寸法もある?)あります。幅は細いのと、逆に太いのと、普通タイプの三通りあります。(甲高なんていうのは?)ええ、あります、あります。二十八まで既製品がありまして、それ以上は注文製作になります。(外国からの注文はどう受ける?)そうですねえ。長さとワイズ、あとは足首の太さ。(足首の周り?)そうです、そうです。その三点ぐらいでだいたい、見当がつきますね。(それは面白い!)(足の幅は一番広い部分?)そこは書くわけですね。この親指の付け根の骨と、小指の付け根の骨の円周なんです。(足首も?)足首は、小鉤(こはぜ)の枚数によっても若干違うんですがね、くるぶしの二センチぐらい上の円周ですね。まあ長さは当然、踵(かかと)から、長い方の指までですね。(人によって親指が長かったり?)それがありますから。(外国人にも聞く?)そこんなっちゃうと今度は、誂えの範疇になっちゃいますからねえ、外人の人は訳わかんなくなっちゃいますよ。単純に、長さで良いと思うんですけどね。細かくはそういう風に、かかとの後ろから、長いほうの指先までのほうが、正確なんですけどもね。(外国人向けはサイズが大きい?)そういうことですね。だけど、この間の女の人は24.5でちょうど良かったですし。(今、若い人は足が大きい?)大きいです。

爪先のところ、難しいですね
(作るのにどういうところが一番難しい?)ううん、約二十工程あるんですよね。最初と最後が難しいですね。最初の型を作るのが難しいです。それからいろんな縫製のなかでやっぱり爪先のところ、難しいですね。(何枚の布ででき上がってる?)足袋の底は一枚、こういう底なんですが、これも二枚貼り合わせてあるんです。張り合わせて、うちは仕入れるわけですね。あとは補強。お相撲さんの稽古足袋ってのは縁が無いんですけどもね、丈夫にして丈夫にしてって言われ方すると、そこが三重になったり、厚い生地をここにあてがってやるってことがあるんです。普通なら二枚ですね。

今は都内にね、十軒も無い
(お父さんは何歳から仕事を?)(父)兵隊から帰って来てからだから、二十四、五から。(兵隊に行く前もやってた?)まだ、学生ですから。(もう何年になる?)五十年。(芳和さんはお父さんから教えてもらった?)(息子)ほかには教えてくれる人いませんよ、ねえ。なかなかもう、作る人は居なくなっちゃいましたけどね。(減った?)もう何人もいないです。(息子)正確な数字はわかりませんが、明治から大正ぐらいの頃、二千軒あったとかって言いますね。こういう白い足袋を扱う、足袋屋とあと、それこそ素人衆の、半纏とか祭りに伴った足袋があるんですよね。そういうの全部含めると、全国で六千軒ぐらいあったんです。今は都内にね、十軒も無いんじゃないですか、おんなじようなやり方している店がね。(われわれも洋服着て歩いてるからしょうがない?)好きな人は好きですね、着物はね。(授業参観にお母さんたちが着物で来ない!)まったく。(浴衣のときは足袋を履く?)基本的には履かないんですよね。浴衣を着てお稽古する時は白足袋履くんですけどね。(足袋は靴下よりも足をしっかり固める感じがする?)そうですね。股が割れてるし、綿ですからねえ。

足首がこういう風に、肉が落ちたり、細くなったり太くなったり
(女性用は四枚こはぜって決まってる?)いえ、決まってるわけじゃないです。白足袋も四枚と五枚もあります、男物も女物も。柄足袋は、男物は五枚に、女物は四枚に、たまたま作っているだけです。そういう決まりとか、そういうものは無いんです。(好みで?)そうです。あの、おんなじようなのを六枚で作ってくださいとか、三枚で作ってくださいだとか。(小鉤の数が多くなれば足袋が上に伸びる?)そういうことです。約二センチそれぞれ上がってますからね。四枚で十分なんですけどね。(大人になってからも足は変る?)微妙に変ります。(体ほど太ったり痩せたりしない?)うーん、足首がこういう風に、肉が落ちたり、細くなったり太くなったり。このへんもやっぱり、何て言うんですか、肉が無くなっちゃって、落ちちゃったっていう人も。女の人に多いですね。(型を持っていても寸法は取りなおした方がいい?)いえいえ、糸一本分ぐらいつめてくださいとかって必ず言われますから、その程度の微調整で十分なんです。

細ーく、かっこよく
(めうがやの名前の由来は?)これも正確にはわかんないんですよね。日本橋浪速町ってとこに本家があったんです。それこそ万治二年ていう。明暦の大火の後の年号なんですなんですよね。それで、本家からたくさん暖簾分けがあったんです。そのころ漢字の茗荷って書いてたらしいんですけど、いつの日か平仮名四文字になって。本家の家紋から来たんじゃないかっていうことがあるんですけどね。江戸で綿の足袋を販売したので一番古いんです、茗荷屋っていうのは。(お宅の特徴は?)やっぱり、気をつけているところがありますね。誂えてやってますからね。誂え足袋はいろんな言われ方しますんで、それに合わせますけど。既製品は、どっちかって言うと細ーく、かっこよくね。そういうふうに努めてるんですけどもね。

ただやればいいってもんじゃない
(息子さんはまだ若い?)二十一です。(うれしい?。)いえいえ。(修行は何をやる?)えーと、この糸がありますでしょう? これを縒るんです。大手のメーカーはみんな機械でね、縫っちゃうんですよ。(糸を手で縒るのから始まる?)それがまずスタートって言うか。(縒りが何年かかる?)きついとか緩いとかってあるんですよ、やっぱり。ただやればいいってもんじゃないですよね。(面白い!)すると、糸の間隔が今度は広くなったり狭くなったり、幅がどうのこうのとかって、これはこれでいちんち(一日)続けてると、本人にとっては大変なんですよね。(糸の縒りが終ると次は何をする?)そうすると今度はね、切った布を、直線縫いって言うんですか、簡単なところを縫う。(それはミシンで?)ミシンですね。それがやっぱり縫い線がこうなったりしちゃうんですよね。あとはこの、できる範囲で包丁で、切るのをね、やるようになって。どっから入ろうと別にいいんですが、まあ一番最初はとにかくこの糸、やりながら雑用があったりするんですね。(一人前になるには十年ぐらい?)やっぱり、そのくらいかかっちゃいますよね。様子が分かりますからね。生地の良し悪しも分かってきますしね。目が詰まった生地であるか、そうでないかとか。だんだんだんだん関連で分かってくるもんですね。

やっぱり粋(いき)に履いてもらいたいなあ
(足袋を履くと小さい足に見える?)やっぱり粋(いき)に履いてもらいたいなあって思ってますね、一言で言っちゃうと。(履いた時の粋とは?)それはね、爪先の感じですね。爪先の幅が広がらないで、つうーんとした感じっていう一言ですね。(履く人が注意することではない?)うん、履く人がそれなりに知っていれば、こっちにもそういう言われ方しますし、今の人はそういうこと知っている人が少ないもんですから、そうなんですよって言っても、その人はチンプンカンプンですしね。何度か履いてる人は、こことこことここは押さえてくださいって言われますし、既製品でも誂えでもやっぱり言われますね。年に何回かとか、しばらく履いてなかったって人は、そのへんは分かりません。(子どもの七五三で履いてる人には無理?)わからないですよね。口で説明しても、ええ。本人が分かろうとしませんしね。(朝から晩まで毎日履いてたらいろいろ分かる?)わかります、それはわかります。素材からして、ね。(お客の目が無くなった?)少なくなりましたね。どんどん、どんどん少なくなった。こだわるお客さまも、おられますよ。ちょっと違うと、「どうしてこうなっちゃったの?」って。前のこと知ってますから、「どうしてこうなの?」って。(誂えの宿命?)手を抜いてるわけじゃないんですがね。(誂えが圧倒的に多い?)ええ、六割から七割ぐらい。(地元のお客さんが多い? )そうです、そうです。向島は足袋を履く人が多い花柳界ですから、自然と。(きれいな芸者さんの足をたくさん見て?)そうですね。そういう風に役得がある(笑)。

Copyright 1999-2001 EDOCRAFT. Allrights reserved.
mail@edocraft.com