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青帆(せいほ)

一番盛んなのは江戸時代ですよね
彫刻者五十人くらいまだ居るんですよ
背は低いしぎっちょだしね、駄目だって言われて
売れないけどやっぱりある程度のもの持ってないとね
今の若い人が続かないんですよ、根がいりますから
模様彫れる人は少ないんです
黙っーて突っ立ってるだけなんですよ
現代のものを作っても売れないです
艶がなくなっちゃうでしょ? 自分でやると
ヒビの入り方で俺が見ると、ああこれは偽もんだってわかる
彫って、工賃を貰って帰って来た
昔は職人、今は作家
次の世代はわかりません、どうなるか
材料に合わして図柄を考えなくちゃならない
やっぱり目が上がってきましたからねえ
伝統工芸で機械をやるとね、(笑)怒られるけど
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English interview

一番盛んなのは江戸時代ですよね
(象牙細工は古い?)ええ、奈良時代からですけども、一番盛んなのは江戸時代ですよね、根付が。その当時はね、貿易がなかったんですけど、出島に象牙が入ってる記録が残ってるんですよ。それで三味線の楽器だとかね、撥だとか、そういったもん取った残材って言うんですか、端切れで根付けを作ってたわけよね。そいで明治大正時代が、これがもう美術界で、あの第一回の博覧会なんかで、もう象牙一色になるぐらい盛んだったんですよ。岡倉天心だとか、石川みつあき(字不明)なんて時代があったわけですよ。ところが、象牙は割れるとか、材料が限定されてるでしょう? 太さ。そういう制約があるんでもう、美術界からこうはみ出しちゃったわけよね。そいで、その流れを汲んで、戦後ね、太平洋戦争中は奢侈品禁令ってので、仕事ができなかったけど、かえって戦争が終わって、アメリカ国が入ってきたでしょ? そうすっとピーエックスが職人を探して集めて、そいで象牙製品を作らしたわけね。(当時はずいぶんアメリカ人が買った?)そりゃもう買える人はみんな。象牙のチェスだとかなんかね、もう大量に出たわけですよ。でまあ、当時経済的に一般は苦しかったんだけど、われわれはそれで力つけてきたわけですよ。(出島に象牙が入った当時は庶民が買った?)んー、楽器関係が多いんじゃないでしょうかねえ。(今は材料も輸入できない?)今年はできたんですよ。去年のワシントン条約で、輸出したい国があるんで許可が出た。禁止んなってから十年目ですけどね。(向こうで象の間引きをやってた時期がある?)そうそう、そいで材料持っているから、売りたいってね、申し出があってね。日本だけが買えたわけですよ。(でも作ったものは輸出できない?)できないんです、国内だけで。(矛盾してる?)結局密猟につながっちゃう。(日本で買った外国人が持って帰るのは?)できないんです。こんなもの隠してね、検査がなければそのまま行くでしょうけど。ネックレスでも首へ懸けてくと、駄目だって言うんです、外国から帰ってくる時も。みなさん東南アジアへ行ってね、印材だの買ってらっしゃるけど、駄目なんですね。

彫刻者五十人くらいまだ居るんですよ
(伝統のデザインがある?)ありますよ、やっぱり。昔やったので写真だのなんだのあるでしょ? コレクションした人(しと)が写真集出してるから、それ見てやる。だから根付けもね、彫刻者五十人くらいまだ居るんですよ。それで、根付けの展覧会とかで、まあ言っちゃなんだけど、何十万ですよ。われわれはもう、値段こなれたあれでね、やってますから。結局、展覧会でやって賞取らしてね、そういって箔をつけて高く売りつける。(今年輸入した象牙で五十人が足りる?)五十トンぐらい入ってますから。(五十トン!)だから、それみんな買わされたわけですよね。だから中にはほれ、使えないような材料もあるだろうけど、全部ほれ、自然のもんですからね。(五十トンで何本?)一トンって言うとねえ、六十本ぐらいだから、象にして三十頭ですよね。(一トンあるとどのくらいで使い切るも?)いや、そうですね、こんな根付けやってれば、一トンあればものすごくできますよ。こういう丸物(まるもん)にすればね、どんどん消化しちゃいますけど。象牙のあれは、印材が一番消費が強いわけですよ。(買うのは年配の人?)そうですね、象牙はね、だいたい石油ショックまでは九十パーセント輸出ですから。出来たもの全部ヨーロッパだとかアメリカね、みんな輸出してたわけです。ところが石油ショック以後ね、日本人もだんだん金持ちになってきたんですよ。で、国内でも買ってくれるようになったから、国内消費が出た。今はまったく輸出できないから、私達はデパートへ呼ばれて行って、催事で売ってるわけですよ。(今は売れる?)売れるところと売れないとことね。(どんな人達が買う?)えー、歳取った人ですねえ。象牙好きな人で、象牙集めてる人があるでしょう?

背は低いしぎっちょだしね、駄目だって言われて
(何代目?)初代ですけどね、先生が駒田柳水(りゅうすい)っていいましてね、北区の滝野川に居て、そこへ八年くらいで修行したわけですよ。そいで独立したんですけど、二、三年で奢侈品禁令になって、それから召集で兵隊に四年半ぐらい行って、終戦と同時に帰って来た。そいで、うちも何にも無くなっちゃて、道路も何にも無くなって、仕事はね、してくれってもうヤイヤイ言われたんで、先生の所から道具を少し分けていただいて、それから始まった。(独立は何歳?)えーとねえ、1916年生まれですからね、で高等小学校出て、それで先生んとこ入って、そこで八年でしょう? ちょうど年で二十四くらいかな。(ということは1940年つまり昭和十五年?)そうです。(それから戦争に行った?)ええ、あの東京空襲があった後、すぐ召集。高射砲部隊ですから、外地には行きませんけど。(当時はどこに住んで?)滝野川にいたんで、西ヶ原にね。本籍も今そこですけど、帰ってきた時はもう焼け野原でしょう? 何にも無し。下の書棚にもいっぱいが本あんでしょ? 私も参考にそういうのが好きだったものですから、押入れにいっぱい入れてあったのもみんな焼けて、それをほれ焼けたからうち見て来いって言うんで外出許可を取って、もうそれが情けなくて、あはははは。(道具は無くなっても買う人は多かった?)うん、珍しいから良く売れたんですよ。(この仕事に入ったきっかけは?)きっかけはね、私は兵庫県の姫路ってとこの出身なんですけどね、ここで育って。そいでちょうど今みたいに景気の悪い時で、就職がなっかなかできない時代。その頃に東京に親戚があったもんだから、そこへ来ましてね。そいで床屋さんから腕に職作れってんでね、両親が早く死んだもんだから。で、床屋さんかなんかだと思ったら、背は低いしぎっちょだしね、駄目だって言われて、そいでそこの親戚を少しぶらぶらしてたんですけど、近所に象牙の先生がいて、そいでやってみないかって言うんで。私も絵が好きだったもんですからね。で、そこへ入って。そいで八年間やり通したんですよ。昔の奉公と同じでね。(ひっぱたかれた?)いや、ひっぱたきはしないけどねえ、小遣いね、わずかもらって、もう一日中、一日(ついたち)十五日が休みくらいでね。(修行は何から?)修行はね、象牙じゃなくね、セイウチの牙ね、そういうものいじらしてもらって。、それだとか、みなさんがやったのを磨くとかね。始めっから自分でできないですよね、やっぱり。部分的なものを習っていって。(彫らせてもらえるのは?)まぁ四、五年ね。四、五年経つと、先生のうちに役に立つようになるでしょうからね(笑)(おかみ)もうほんと、お小遣いだけもらって一日と十五日お休みでしょ? あとはお正月と盆くらいでしょ、お休み。それで四月の明けですよ。(親方)今みたいにね、いろんな職業が目に入らない時分ですから、先生のとこ入ったら友達も何にも居ないまんま育っちゃうんですよね。だから社会性は無かったですけどね、出ても。全然社会のことは分かんないで出てきたわけですよ。だけど兵隊行って殴られて、だんだん社会っていうのはこういうもんだと、人間ができてきたのは軍隊のおかげですよ。(笑)(兄弟弟子は?)ええ、兄弟子がいましたけど。やっぱりちょっと意地悪されましたけどね。

売れないけどやっぱりある程度のもの持ってないとね
(沢山作り置きがある?)これ全部入ってるんですよ。(これが端から売れる?)ええ、出てって、どれが売れるか分かんないんですけどね。(おかみ)売れません、今は。売れないけどやっぱりある程度のもの持ってないとね。あんまりパラパラでもねえ。(今日頼んで明日出来るわけじゃない?)まあ、一回行って彫刻が一点売れるか二点売れるか・・根付けはちょこちょこ売れますけどね。(象牙は道具と美術品の二通り?)そうですねえ、まあ美術品の方でしょうねえ。だけど買う人の身になってね、やらないと、べらぼうな値段つけてもね。私は職人でやってますしね。

今の若い人が続かないんですよ、根がいりますから
(親方の先生の名前は?)駒田柳水(りゅうすい)。その息子さんたちも、二人やってますけどね。(親方の息子さんもやってる?)息子は、いますけど。まあ印材だとか、ああいう機械的なことを、裏の方でね、やってるんですよ。(印材なんかは機械で作る?)旋盤で、印材そのものを象牙から作る。彫るのもやってますけどね。(彫るのも根気がいる?)ええ。(おかみ)だから今の若い人が続かないんですよ、根がいりますから。(帰っちゃった人もいる?)ああいますねえ。途中でやめたかたもね。でもこういう仕事は一生ですよ。あの先生のとこから出たからったって腕が良くなるわけでは・・あれが覚えたってだけで、それからですよ、だんだん腕が良くなるのは。何十年もやってるうちにいい腕になるんです。(おかみさんはいつから一緒に?)私は、昭和二十八年にここへ来たんですけど、私も象牙でこういうものが出来るとは初めて知りました。(その時に?)ええ、知らなかった。(最初見たときどう思った?)いや別にどうってことはなかったけど、えー象牙ってこういう、あたし置物ってお人形さんって言えば博多人形とかね、あんなんのきゃ知らなかったでしょ? 割合にこういう女物が出たんですよね、その頃。あーこういうものが出来るんだななんて思いましたけど、大して。うふふふふ。

模様彫れる人は少ないんです
(こういう色はどうやって入れる?)(親方)これはねえ、小刀で模様彫ってあるわけですね。そこへあの、なんて言うんですか、漆の顔料でね、溶かして。本当は漆でやればいいんですけども、これはニスでやってあるわけです。もう濡らしても取れませんから。こうやって触るとザラザラするでしょ? 彫り込んであるわけです。(象牙を彫る上で何が難しい?)うーん。まあ、模様なんかね、一番難しいと思うんですけど、模様彫れる人は少ないんですよね。ですから白仕上げって言いましてね、今の彫刻家の展覧会見ても、白仕上げが多いですよ。(白仕上げは柄を入れない?)模様が少ないでしょう? (象牙は柔らかい?)ちょうど金属と木との間くらいです。(結構硬い?)硬いんです。ですから細かい細工ができるとこがね、象牙のいいとこです。(硬いと逆に細かい細工ができる?)そうですね。木なんかだとほれ、細かくできないでしょう? (おかみ)象牙を削ってるときにね、キュッキュッキュッキュッて音がするんですよ、歯の浮いたような。あれが嫌でしたわ、慣れるまでは。ええ、とってもやな音するんです。歯が浮くって言いますでしょ? あれなんです。職人さんの奥さんで、それが嫌でどうっていう人いましたよ。

黙っーて突っ立ってるだけなんですよ
(根付はどのくらいの日数で出来る?)そう、構図を考えるのに時間かかりますけどもね、いったん構図が決まればその、うーん、材料を構図に決めてね、そいで粗彫りで一日半ぐらいね。で、仕上げが半日ぐらいで、まあ三日あれば仕上っちゃうね。(そんなに早くできちゃう!)ええ。磨いて、今度色つけて仕上げになるわけですよね。(そこまで入れると一週間ぐらい?)そうですね。(二度と同じものを作らない?)いや、そんなことはないですよ、売れればまた。(笑)売れ筋があるわけ。(売れ筋ってどういうもの?)だから、鬼ばっかし集めてる人だとか、達磨さんばっかし集めてる人だとか、そういう人がね。(おかみ)そうそう、そういうお客さんいらっしゃるの。だるまさん無い?とか、あるいはウサギが無い?とかね。(その人のために手を変えたものを作って?)やっぱりいろんなものを置いてないとね。馬のが欲しいって方もいらっしゃいますしね。(ということは直接お客さんに売る場合もある?)ええそうですね、そういう看板は出してないんですけど。でも最近はあまりないですね。(ここでやってることが知られてない?)ええ知らないんです。私どももそんな宣伝しませんから。職人だから、うちはね、(笑)仕事より出来ない。(笑)いやあ、職人だから商人じゃないから売るのは下手ですしね、デパート行ったって黙っーて突っ立ってるだけなんですよ、おっほほっほっほほ。(象牙の置物みたいに立ってる?)ほんとにもう。そんなわけですね。そんなもう一生懸命宣伝して売るなんてことしませんでしょ? (でも見る人が見れば?)そうですよね。

現代のものを作っても売れないです
(象牙の彫刻はどこから来た?)中国ですね。ですからあの、題材が大体ほれ仙人とか、中国系のものが前は多かったですよね。あそこにある唐美人とか。ところがほれ、やっぱり日本の風俗が東洋的だっていうんでね、あの外人は分からず、もう日本のものも中国のものもわかんないんですよね。東洋的でさえあればいいって。(つまり日本のデザインが無い?)そう、日本のものもみんなちょんまげ結ってるとか、女の人は丸髷結ってるとかねえ、現代のものを作っても売れないですもんね。(翁には亀が付いている?)はい。普通翁ってのは両方立ってるんですよね。あれは片っぽ座らしてある。(翁は長寿を祈る?)そうですね。よくお祝いにね、子供達が寄って買って、八十八のお祝いにあげるのにね、割合と売れる方です。(価値があるものは高くてもほしい時代だから、また買う人が出て来る?)(おかみ)そうかもしれませんね。(この重さがいい?)ああ、象牙はそうですね。(根付を携帯電話に付けたらみんな喜ぶかも?)そうですね。(象牙は丈夫?)やっぱりね、落とすと欠けますよ。あの当たり所悪いと、こうゆうとこ足がね。(これは?)これは舞妓さんの。これちょっとお値段高いんですけどね。結局、舞妓を研究するために「都踊り」見に行って。(笑)やっぱり研究しないと、間違えたら「これ違う」なんて言われるから。

艶がなくなっちゃうでしょ?
自分でやると (象牙の箸は使っていると色がつくのはどうすればいい?)お醤油だのね。黒くなったのはほれ、茶渋だとかね、なんか付くと黒くなる。あれはまた補修できれば取れますからね、少し短くなりますけど。(何か自分でやる方法もある?)艶がなくなっちゃうでしょ? 自分でやると。ペーパーでこうやるととれますけどね、あとほれ磨きができないでしょ? (何で磨く?)私らは磨き砂でやるんですけど、今はバフでやれば綺麗になります。(バフ?)モーターでかかって、こうヒューって動く。蝋を塗ってやるんです。

ヒビの入り方で俺が見ると、ああこれは偽もんだってわかる
(象牙を一本飾る人も居る?)はいはい。(あれは?)まあ好きな方はねえ、将来値上がりするのと、(投資?)それを狙って飾っている。一時ブームでしたね。(あれで何か作る注文は?)材料売りたいって人ありますよね、やっぱり。そいで、最近ですけどねえ、台湾で作ってんだろうと思うんですけど、偽物があるんですよ、練り物で。もうわれわれが騙されちゃうくらい良く、いい材料使ってんなあーって。ところが裾(すそ)のとこがね、がらんどうでしょ? あの三分の一ががらんどうですから、そこふたしてありますね、それだけ象牙が入っているわけです。それで騙されちゃうわけです。だけど、それでもこうちょっとヒビが入ったりするでしょ? そのヒビの入り方で俺が見ると、ああこれは偽もんだってわかる。(専門の人は買わない?)そうです。

彫って、工賃を貰って帰って来た
(注文で作るよりも、色々なものを毎日考えて作って?)ええ、作って、こいだけ貯めたわけですよね。昔はねえ、どのご商売も同んなじでしょうけど、昔は問屋さんがあって、職人さんがいて、職人さんは問屋さんへ行って材料を支給されて、そいで彫って、工賃を貰って帰って来たもんだ、前借りしたりなんかしてねえ。で、いつまで経ってもうだつが上がんない生活をしていたんですよね、職人は。ところがそれではいけないなあということを私らは感じて、ほいで最初は御店(おたな)の仕事をしてました。だけどだんだんこう貯めていくようにして、で、お金も貯まったら材料を買い、で、自分の品物を貯めていくと。そいである程度貯まったんで今度は、御店のいる東京では売れないでしょ? 叩かれるから。毎月のように大阪へ行って、そいで大阪で大事にしてくれる問屋さんめっけてね、まあそこは仕入れて輸出するわけですから。それが続いてね、弟子も五人ぐらい居て、で、だんだんこう力つけて。やっぱり御店から工賃貰って生活するだけだったら、やっぱりいつまで経ってもうだつ上がんないんですよ。(今は問屋は?)問屋さんはもう今力なくなって、ほとんど、仕事をしてる人は居ますけど、仕事を出してる人は少ないですね。大阪の問屋さんも東京の問屋さんもみんな一緒で、現在はもう力がないでしょ? ですから、催事に出るようになったわけですよ、もう十年ぐらい前からですけどね。私も象牙組合のね、理事を長くやって、そいで理事長もやりましたから、ほかの商売にもこう、顔が売れてたわけですよね。そいで仕事も出来るでしょ? で、デパート行っても実演が出来る、そいで品物も持ってる、ゆうんで大事にされて今日に至ったんですけど。職人さんでほれ、仕事は出来るけど品物持ってない人は、御店から借りてくるか、借りてきたら、壊したら弁償しなきゃなんない。大変ですよ、やっぱり。

昔は職人、今は作家
(今五十人くらい職人が?)ああそれ作家ですね、もうね。職人ではないやね。先生、芸術家なんでしょう。それは、会長だとか、役やっている人は上手な人いっぱい居ますけどね、職人よか以下の仕事している人も居るわけで。(おかみ)昔は職人、今は作家っていうんです。(笑)職人って言われるの嫌なんですよ。作家とか芸術家ってね。(アーティストとか?)(親方)そうそうそう。(奥さん)私たちにはもう分からない。私ら職人だから職人て言う。(職人は親方が最後?)(親方)んんー、まあ東京に組合ありますね、そこに四、五十人いるんですけど、お箸だとか、印材とか、それぞれ専門があるわけですよ。んん、象牙屋でも、こういう彫刻がやれる人と、それからそういう専門的なものをね、和楽器だとかね。みんな部門分かれてるから。(おかみ)少ないわね、彫刻やる人はね。何人かはいらっしゃいますけどね。

次の世代はわかりません、どうなるか
(息子さんは今いくつ?)いくつって、もう五十。わたし八十三だから。(八十三!)んん。(この顔色はにくい!)えっへっへっへ。(おかみ)そうですか? (親方)いやもう息子の代に渡してもいいんだけど。(息子さんはやると言ってる?)んん、そういう修行少しさせたんですけどね。もうやっぱり印材だの機械的にやるものの方が向いてるみたいでね。(おかみ)まあでも、わたしたちは品物が無ければだめだから作ってはいますけどね。次の世代はわかりません、どうなるか。だんだん作る人も作るんなくなるし。(形を作るのが好きじゃないとできない仕事?)(親方)そうですね。(おかみ)楽しんで作らなきゃだめでしょうね。

材料に合わして図柄を考えなくちゃならない
(象牙にも種類がある?)ありますよ。硬質と軟質とあってね。硬質は通常ハードって言いますけど、ちょっとこう透明っていうのかねえ、ちょっとこう、奥が見えるような材質です。そいで、そのかわり欠点はね、割れ易いんです、乾燥でね。そいで、軟質の方は、アフリカでもずっと南の方の、今回輸入した材料なんかもそうですけどソフトですよね、柔らかい。柔らかいと、良く磨けば艶出ますけど、んー、まあ硬質のような光が無いわけです。(材料によって作るものが変る?)いや今もうそんな贅沢言えないですもんねえ。昔はね、材料が豊富でしたから、何を作ろうと思うと、その材料の中から適当なところを、ものをね、見つけて作れたわけです。今のように材料がもう輸入されなくて、たまたま今回輸入されましたけども、少ない場合はね、材料に合わして図柄を考えなくちゃならない。贅沢言ってられなくなっちゃった。(笑)

やっぱり目が上がってきましたからねえ
(八十三で継ぐ人いないと困る?)(おかみ)そうね、息子は、あまりこういうのはできないですからね。、若い人っていうのは機械、機械って、機械の方へ走っちゃったのね。(毎日仕事は朝から?)(親方)いえ、もう今はねえ、ほれ出て行くと、ちょっと欠けたりね、した補修だとか、直し物ですね。今やっぱり、従来からあるものをね、ちょっと手加えたり、そういう仕事をもう、手一杯だから、怠けもんで。(八十三までやって怠け者?)やっぱり目が上がってきましたからねえ。(笑)だから目医者行って、いい眼鏡かけないと、会場でね、実演やってても、字がちょっと彫れなかったりすることあるから、ああこれは目が悪くなったんだなあと思って。(基本的に眼鏡無し?)いや眼鏡はかけてますけどね、普段はかけてないです。(でも楽しい?)そうですね。あちこち行かれるし、えへへへ。(おかみさん連れて?)ええ、一緒に行くこともあるしね。娘と一緒に行くこともあるしね。まあ北海道から九州までねえ。ただほれ、こう二、三カ所重なっちゃう時あるんですよねえ、そういう時が困っちゃってね。まあ弟子が隣り一人いるから、それに代わってもらうとか。(お弟子さんも同じものを?)そうですね。(お弟子さんは若い頃から修行?)そう、やっぱり中学出たぐらいでね、ええ。もうもう六十過ぎぐらいでしょ。

伝統工芸で機械をやるとね、(笑)怒られるけど
(親方は左利きで、道具は特別?)先生んとこ行ったとき、やっぱり左刀ってのが無いんでね、しょうがなくて右で習ったから、小刀はみんな右です。そのかわり、鋸引いたりね、金槌でこう打ったり、鑿こうやるでしょ? それはもう左手で。今はもうねえ、電動の機械ありますから、あれでみんなやるから、昔みたいに鋸だのなんだの使わなくなった。あんまり伝統工芸で機械をやるとね、(笑)怒られるけど。でもこういう根付の穴なんかね、シューっとやれば簡単に空いちゃうでしょ? 昔はこれ、轆轤(ろくろ)って言いましてね、あれで穴空けたもんです。


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