|
●おかあちゃんが選ぶ
(きれい!)こういう赤いのがね、割合好まれるんですよ。親父のほうが先死んで、 おかあちゃんが選ぶっていうと、たいがい赤いの(笑)。昔は黒檀ばかりでしたね。
(これは何?)これは紫檀です。いまやってんのも、ちょうど逗子、つまり鎌倉の先 のお客さんからのでね、去年の今ごろからもうこれで八本目、みんな親戚が次から次
へと。結構いいお客さんなんです。(割に背は低め?)ええ、これはね。このごろの 仏壇はね、彫刻があんまり必要ないって言うの。「お掃除簡単!」っていうんで、も
う極端に彫りを省略してね。彫り屋さんに怒られそうだけど、あははは。
●一生お付き合いしたいよ
(店は何年続いてる?)何年でしょうか。ここでは昭和二十四年からだけど。(お父 さんの代から?)そう。もう三年前にお隠れになっちゃった、八十七歳。(ずっとこ
の場所?)いえいえ、前は、自分たち小さい時はもっと貧乏だから、こんなのは下屋 (げや=母屋にさしかけた小屋根)を下ろしてね。下屋っていうと、早く言えば掘っ
建て小屋みたいに屋根だけズッと下ろして、そんで床つけて仕事場にすんのを下屋、 下屋って言って。で、いくらかは宗教団体ので儲けたから、こういう鉄骨で建てられ
たけど。それすらももう二十五、六年前の話で、今はあんまりよろしくない。でも、 いい本物が欲しいって。普通は厚い突板(つきいた=きれいな木目の薄板)貼ったの
が大半なんですよ、何百万のものでも。でもこのお客さんは特殊なお客さんでね。つ いこの間も、もうちょっと大きいので、総桑で作って、近所のお寺さんへ収めたけど
、だんだん、そういうお客さんが、増えてきてる。普通は突板っていうとね、こうい うんで、これに十二ミリのを貼るんですよ。でも、お客さんは「無垢(むく)でやっ
てくれ」って。まさかこんな幅の広いもん、無垢で有るわけ無いから、こういう風に 枠つけて、中板を入れてね・・・このやり方を框(かまち)仕立てっていうんです・
・・こういう引出しの枠とかね、お盆も全部、下も、無 垢でやったんですよ。普通は
桐の板、使っちゃうんだけどね。これも、側(がわ)も全部、紫檀の無垢なの。本物 のそういう、いい仕事が欲しい。すごい重さですよ、これ。(聞き手に板を持たせて
?)ちょっといい? (すごく重い!)お客さんの数は少ないけどもね、こういうの を欲しいっていう方も。この間もお寺さんへね、紫檀じゃなくて総桑で、これでやっ
てくれって言うんで。(特別な大きさ?)うーん、違う違う! お寺さんっていうの はね、代々の住職は寺の本堂へ奉られるんですよ。だけど、ご家族はちゃんと別の仏
壇に御位牌を入れてるんです。で、お墓も住職は寺のちゃんとした一番いい所へ、奉 られて、ご家族はみんな別の墓地に、そこのうちのね。だから、住職とご家族では、
家族であってもお寺んなると、格が違ってくるんですよ。まあ神主とは付き合いが無 いから分かんないけど、あははは。(注文出せるのは仏壇に詳しいから?)そうです
ね、「十年ぐらいやってくれる職人を見っけたけど、うんって言う奴が居なかった」 って、そういう風に言ってましたよ。すごい、うるせえ女の人なんだよ。(いくつく
らい?)え? 七十二、三かなあ? 日本中またにかけて遊んで歩ってる。なんか仕 事持ってるみたいだけどね。こっちが広島で新幹線で行くんだって言ったら、「そん
なの飛行機で行けばいいのに、日帰りできるよ」って。広島の方に、仕事で行くんだ か、親戚んとこ行くんだか、朝行って、夜にはもうこっちで寝てんだよ。「そんな広
島あたりで、新幹線でもって、のこのこ走るな!」って。(東京の人?)逗子の人。 湘南ですよ。若い人だけじゃない(笑)、湘南は年寄りまで飛んでるんだよ。(兄の
職人に)気っ風がいいよなあ? 二人に三万円づつ呉れるんだから。一生お付き合い したいよ。

●作ってる人が居なくなっちゃった
(いい注文は少ない?)少ないですね。値段も、予算ばっかりみんな気にしててね。 でもまあ、逆に職人がもう、作ってる人が居なくなっちゃったから、店でもそういう
注文を受けても、今度は引き受けられないわけですよ。まず職人の方に、お伺い立て ないと。まあそのわりには職人大事にされてないもんね。もう、うるさいこと言って
、買ったら五年でも十年でも直させる。昔はね、お店が、今のいう金融機関のような 役割しててね。で、開業する・・・「材料のいいのあったんだけど買えねえ」って言
うと、「ああそうか、じゃあ持ってけっ」て言って、前渡しでポン。で、いい材料買 う、紫檀だけど。今はそういう、結構なのは無くなってね。昔の職人は、その代わり
お店(たな=問屋)のためっていうんで、直しもんやなんかね、相当ひどいんじゃな きゃ、みんな只で直していた。その都合のいい、只直すっていうのだけが習慣で残っ
ちゃった。今だに、そう言う。ある時、「冗談じゃねえ! 死ぬまで直させる気か! 」って、店を出て来ちゃった。つまりね、店も何代にも亘って、こう代替わりしちゃ
ったでしょう? 都合のいいとこだけ「職人さん」って言って、都合の悪いとこは全 部、自分たちの負担が増えるところは全部切っちゃった。こんな馬鹿なのに付き合っ
てられねえ。やっぱり仕事で無理難題ゆっても、それに答えてくれるお客さんだった ら喜んで、ね?。お金はもう、こっちでこれくらい呉れっつって、こんなに切っちゃ
って、そんで、こうやれこうやれじゃ、注文ばっかり増やすんじゃね。やっぱり、そ れに見合うだけのお金出してくれりゃ、どんな無理言われったって「ああそうですか
」って言う。
●すげえ喜んでくれて
その湘南の人の口の悪いことたらないね。(直接の注文?)これはね、仲間がデパー トへ出て、「仏壇でこういうの、面倒くさい注文だけど聞いてくれる人いないだろう
」かって聞かれた。で、仲間が、「まあ遠ちゃん、ちょっと口うるせえけど、金っ払 いのいいのいるから、やってくんないかい?」って言うんで。あんまりうるせえこと
言うからやめちゃおうかなって思ったけど、まあ言うこと聞いてやったら、すげえ喜 んでくれてね。そしたら、自分で注文の寸法間違いして、どっちが間違えたかもちゃ
んと説明してやると、「ああ、わかったわかった、じゃもう一本作ってくれ」って。 「いいんですか?」っつったら「いいんだ」って。それも、二十万、三十万じゃない
のよ、四十何万。そしたら、手作りでいいっていうんで、娘さんの嫁ぎ先でそれ使う からって、それにもう十万出すから、こういうの出来ないだろうかって。やったこと
なかったけど、手探りでね、まあ一回、二回、これが四回目かな。そうしたらやっと 思うように、ほら前にしくじってさ。まあしくじるったって、四十年以上やってるか
ら、素人のお客さんに、見破られるようなことはしないけどね(笑)。やっぱりそこ はほら、本職だから、ちゃんと見られるようにしてね。でも作ったほうとしては「あ
あ、あれはまずかったなあ」。だから、そういうのを何回も重ねていくと、完成品が ・・。だいたいおんなじものをね、三回やらしてもらえば、完璧なものになる。一、
二回目の失敗は、その三回目ぐらいでちゃんと生きてくるんですよ。デザイン的なも のも、寸法的なものもね。
●衣装も映画で使うものを着せて
これがね、本当の紫檀の色ですよ。(別の板を指して)あれは色をかけてある。それ は、紫檀も古くなるとね、真っ黒んなっちゃうんですよ。これとこれでは合わないん
でね、ちゃんと赤黒く色をみんなまとめあげてね。まあ、これも安いんだけども、で もお店へ収めることを考えたら、はるかにお値段出してくれてね、しかも二本づつだ
から、うれしい話で(笑)。(そんな話はめったに無い?)うん、でも昔の職人みた いにさ、お店へだけに忠犬ハチ公やってちゃ、うれしい話はみんな店へ行っちまう。
やっぱり少しでも、皆さんの前へ出て・・・。今はまともな格好をしてっけど、とん でもない格好をしているときもある。二階にありますよ。作務衣着るだけじゃなくて
。岡山に行ったときは、やらせだったけども、振興会の会長のね。かつら付けて(笑 )。(何のかつら?)これは岡山城築城四百年祭っていうんでね、本職のかつらやさ
んですよ。東映太秦、映画村の結髪部が来て、みんな本職のが全部。で、衣装も映画 で使うものを着せて。(昔の職人の形をした?)うーん、暑いから下の方は勘弁して
くれって言ってね、腰までのね。あれで股引はかされたら、ただでさえ岡山なんて熱 いのに、それが八月でしょ、「もう下の方は勘弁してくれよ」(笑)、「上だけにし
てくんねえか」って。ちゃんとかつらもぴしっと合わしてね、化粧させてくれて(笑 )。写真撮っただけで、自分でもうはずして、頭腐っちゃうからね(笑)。証拠写真
が一枚撮ってある。頭抱えて逃げて歩ってたよ。中にはね、自分でも好きなんだか、 ぴしゃっと決まって、すごい役者みたいな、似合う人もいましたよ。あれは原島さん
か、あの顔の作りは写楽の顔みたいな・・・。で、見たらまるで、それで何十年やっ てきたようにね、ぴしゃーっと決まって。会長は似合わなかったね・・・(笑)いた
ずら小僧みたいな(笑)。(自分でもガキ大将やってるって言ってたけど?)まった くね。お金、自分たちで売ったら自分たちで管理しろって言うからね、箱持ってった
ら、お客さん来たからお釣り出そうと思って、開けたらワアーッて蝉が飛び出してき てね、こっちもびっくりしたけどお客さんは目の前で・・・(笑)。(会長がやった
?)会長がやったんだ、いたずらしたんだ。デパートでは真面目にやってっけどね、 お祭りで行くと何やるかわかんない。「祭りやったら楽しまなくちゃ駄目だ」って言
って。(カメラに)格好はなんかつけるの? 作務衣だってこんな色しているから、 同んなじようなもんだね。(ご自由に)
●言葉っていうのを徹底的に仕込まれた
(この電灯は?)これはねえ、こういう、鉛筆じゃなくて、墨で罫引(けびき)って いうのをやるでしょ? こういう風にちょっと傾斜させてね、この墨を見るには、こ
の明かりじゃないと駄目なんですよ。ほんとは右明かりの方がいいんだけどね、ちょ いっとやるとこれがはっきり見えるんです。これはモデル板、これをモデルにして寸
法を取って、こっちに写して、これで失敗したらアウトだから、モデルを作っておい て、たいがい失敗許されないから、これでやるんですよ。まあ昔の弟子だと、親方が
物差しでバシーンっとやるっていうけど、うちの親父は実の親だから、それやんなか ったけどね(笑)。だから、甘やかされたの。昔のあれはね、いろいろ居たけどな、
うちの親父は比較的穏かなほうだったからね。職人に似合わずね、言葉が丁寧で。っ ていうのは、仏壇やる前は本郷のほうで洋家具に丁稚(でっち)奉公してて、この言
葉っていうのを徹底的に仕込まれた。だから、よその親方来てもね、うちの親父はす ごい言葉も丁寧だし、よーく人の話聞く。だから、だんだん自分が仕事できるように
なって、よそ行っても言葉使いは全然不自由しない。親父の話聞いてその通りやって いたからね。中には乱暴な口聞く人は、それが出来ないで、ずいぶん店行ってしくじ
ったのもいるしね。まして、デパートなんか行っちゃ絶対、アウトだね。最初ね、伝 統工芸品展でデパート出ろって言われて、お客さん来っと怖くてしょうがなかった。
もう喉が、緊張で舌がもつれちゃって(笑)。でも、やっぱり自分の説明するにはお 客さんとの会話をね。
●息子をべたべた誉めて歩くのも気持ち悪い
(あっちはお兄さん?)そう、写るの嫌なんだって、トラブル多いから嫌だって、何 がトラブルだっていうんだけど(笑)。(いくつ違い?)二つ。(ずっといっしょに
仕事を?)うん、そうです。途中で病気で、最初の頃ね、それで耳が難聴になっちゃ ったので、人前出んのちょっと億劫がるようになった。昔でいう結核のストマイ難聴
。薬が効いた代わりに、耳の方へね、障害が起きる。親父にはね、昔から職人ってい うのは無口でね、字を書かないで、それとあとなんだっけな、喋るのと字を書くのと
か、すごい極端に嫌ったんです。「そんなのは職人に必要ねえんだ。黙って手を動か してればいい」って。七、八年前、「デパートへ行けよ」って言ったら、すごい「そ
んなことして遊んで歩ってる」って怒られたけどね。でも、死ぬちょっと前から、「 いくらか売れんのか?」って言うから、「うん、売れるよ」って言ったら、「やっぱ
りそうやって売らなくちゃなんない時も来るのかもしんねえな」って。物分かり良く なったと思ったら、ポコッて死んじまいやがんの。(何歳で?)八十七。それまでは
全部、息子っていうのは文句を言ういい、えへへへ、的(まと)だったんだよね。で も、自分の息子をべたべた誉めて歩くのも気持ち悪いやね。酒を飲んで歩くのは怒ら
れなかった。自分も酒のみだから、あははは。でもそれやると、「二日酔いで頭痛え 」なんて、起きて来んのが遅くなると大変だよな。自分でも頭が痛くてもね、午前様
どころか明け方帰ってきて、無理して、ちょっとお使いに行くっていちんち帰って来 ない、えへへへ。自分の息子でも弟子だよね、教えたもんに対して絶対弱みを見せな
い。でもしまいにね、店が代変わりしたときね、経営者が、「おまえ行け」って。「 若い社長じゃ駄目だわからねえや」。話にもずれがあるのね。やっぱりもう息子に任
したからって先代に言われちゃってね。もう話が、私らより十くらい下なんだが、今 いる社長、だから四十も違ったらもう合いっこないですよ。「もう疲れるだけだよ、
ゆってることも分からねえよ」って言う。で横浜のお得意さんもこっちもそういう風 に代りに行くようになったんだよ。やっぱり親父が分かんないよって言った社長は、
今でもわかんなくて(笑)駄目、えへへ。かなり親父も人の話を、丁寧にゆっくり聞 く人だったけど、「もうついて行けねえや」って言ってね。わたしもついて行けない
けどね。でも、親父に営業を預けられたから我慢して三十年ぐらいやったかしらね。
●自分の考えで物を作ってみようや
兄貴に、親父が死んだから営業任したら、どのくらい保つかなあと思って楽しみにし てた、あはは、今年とうとう喧嘩して、辞めちゃった。もう、辞める時期も来てたん
じゃ? だって六十過ぎてね、こっちだっていろんな仕事の考えで、こういうもん作 るって、こういう物はこういう風にやってみたらどうだろう、それいっさい許されな
いとね。「なんだ、食うだけだったら何でも出来らあ。自分の考えで物を作ってみよ うや」ってゆって、「そうだな」って、もう納得してね、後釜を押し付けて辞めちゃ
った。っていうのは、店は店の役割っていうのが昔決まってたんですよ、作るこうい う物をリードするためにね。店も真剣に図面を引いたりして、これを作ってくれっと
か。今はそれ無いでね、考えることすらしないで、職人にアイディァを出さして、商 品化して、売れるといい顔してどんどこ、どんどこ頼むけど、今度は売れなくなると
もうプイって。三年も四年も注文をよこさないって、こんなの店として価値あるかと 。こっちはいろんなとっから注文取ってきて、生活はしてられる。じゃあ、何も店の
いいなりになって動くことないなと。やっぱり、これが人並み外れてさあ、いい暮ら しできるなら、そういうのも我慢するけどね。全然仕事もくんないでね、ここが悪い
の、あそこが悪いのって文句だけ垂れてんだから、「こんものいらねえ!」ってね。 だいたい、振興会はみんな侍が多い、あはははは。あの天下のデパートの前に行って
、喧嘩してくる奴もいる、あははは。銅器屋さん、社長をつかめえて「けえれっ!」 って。あいだけお店を持って、ちゃんと商人としての、こういうお客さんにはこうい
う風にって、出来上がってんじゃないか? それが、わかんない若いのが来てね、デ パートっていう傘で、こう脅かし半分に言うから、「そんなもの出なくたっていい!
」って。まあね、職人が変わってるわけじゃ無いんだよね。ただ、会社なんかへ行っ ている人は、家族抱えてて、そう簡単には言えないけど。結構ね、仕事にかけちゃね
、みんな文句いわれても、どんな注文でも「はい」って言って聞くけどね。やっぱり 、こと金とか、プライドに、(手を横に振って)これやられっと。うちの兄貴は百万
円以上の注文を抱えて、出来上がる寸前んなって喧嘩おっぱじめてね、「もうやらね え!」って、「もう辞める!」って。三十年間言いたいことを、ポロっと言いやがっ
て。だから兄貴の品もんもどんどん売ってやんの。三十年間我慢していた。たぶん親 父なんかは、お店に対して、死ぬまで我慢して、黙って逝っちまってね。そいだけ我
儘んなったんだね。やっぱり親が生きていたらね、親が何十年も守ってた店だから、 そういうことはたぶん言わなかったけど、きちんとこの仕事も継いでるし、しかもそ
こをやらなくても、やっていけるとなりゃあ。いくら「お父さんのときはそうじゃね え」って言われたって、お父さんはもう居ねえんだから。その代り、自分で納得する
まで、いい塗りして。もう専門に塗っている奴がね、「お宅のお兄さんの塗りにはか なわねえよ」って。(塗りも全部自分で?)そうそうそう。業界に、もう一人居るん
だけどね、このかたは手塗りで、たんぽ塗りだから。この、エアガンを使ってね、こ れだけきれいに塗る人は居ないよ。まあ、ここにコンプレッサーの最新型の入れてあ
るから。いい仕事した時ね、「ああ、じゃあ記念に買おうじゃねえか」ってね。お金 があり余ったわけじゃないけど、「こんなの二度とやんないかもしんないけど、記念
に買っておこうじゃねえか」って。その仕事は、高さ二メートル、間口一メートルの 仏壇。だから置き場所が、二メーター二十ありまして、扉を全部こうやって開くとね
、垂れちゃうからね、下へ紫檀で台を作って、そんでその上に戸が乗るようにして。 もちろん東京じゃないですよ。あんなでっかい仏間、どのくらいあんのかなって思っ
て聞いたら、二十畳だって。なんで儲けたか知らないけど、ゴルフ場じゃないかな( 笑)。
●浅草のお祭りで被った編笠
(「えんどう」と書いた編笠を出して)これはねえ、浅草のお祭りで被った編笠。提 灯屋さんで瓢(ひさご)通りにあるのに「書いてよ」っつったら、「じゃあその傘持
って来いよ」って書いてくれた。(平仮名で「えんどう」?)ええ、この方が柔らか い感じが出るんですよ。これはね、坊さんに教わんないと被り方がわからない。涼し
いですよ。ものすごい涼しいんですよ。(中の空洞を見せて)これほら、こういう風 になってんでしょ? これを頭へ載せるの。全然、空(す)いているからね。で、肩
まで入っちゃうからね。すごく涼しい。(どこで買った?)これはね、坊さんが被る んで、仏具の問屋にね。「こういうのを取ってよ」っつったら「いいよ」って。すだ
れ屋さんが見てて「これは丁寧にやってあるな」って。これはね、坊さんが修行雲水 で、托鉢に行くときに、これ被って行く。
●一週間で三本も四本も
これ、やりかけてあってね。普通お店が高いのをね、すごい手ごろな値段でデパート でも売れるように考えてね、三十本やった。で、こういう取材が来るっていうの知ら
なかったから、分かってりゃどんどんやったけどね。いい物を、数作ってコンスタン トに提供できるようにしようと。これは去年からやりかけてんの。でも、いろんな仕
事が挟まって、やっと涼しくなったら手をかけるように。ショールームの方にも、紫 檀よりも、似たような花梨(かりん)とか、そういう赤いものが、すごく好まれるん
ですよ。だから、普通仏壇なんか持って歩って売れるもんじゃないって言われてたけ ど、わたしは値段をこなしてね、行くとかならず売って来ますよ。さすがにお祭りで
は売れなかったけど、売るときは一週間で三本も四本も、固まって売れちゃう。って いうのは、お金出しいいのと、手抜きしないで。お店へ納めるとガラッと価格が、下
がっちゃうからとても合わないけども、自分で直接売っちゃえばね、ちゃんと手間は 取れるから、だから値段は安くても、丁寧な仕事ができる。これお店のじゃね、そう
はいかないよ。(店では買えない?)そうなんですよ。大体うちの品物は、これで売 ってます、五倍!。
●仏壇屋なんてみんなに嫌がられてんじゃないかと思ってた
この間職人さんの弟さん亡くなって、先方の奥さんが「このお値段でいいんですか? 」って言うから、「ああ、いいから、いいから」って。その中で位牌、仏具、仏像、
その中にみんな入れてやっちゃった。「もう仏壇買ってくれたんだから、原価で良い から」って。やっぱり知っているかたには、そういう風に。こういう仕事しているか
らできる。前はね、仏壇屋なんてみんなに嫌がられてんじゃないかと思ってたけど、 このごろは、ああ、この仕事しているから、みんなに少しでもお手伝いできんだって
。親父生きてた頃にこれくらいのこと言ってやりゃ、喜んで死んだのに、あははは。
●関東大震災で需要が生まれて
仏壇はね、やっぱり関東大震災で需要が生まれて、小売店がお彼岸の前にちょこっと やったらば、なんか際物って呼ばれてたんだそうですよ。それが専業でも食えるよう
になって、昭和の初め頃、専門職に。だから、わたしら二代目ぐらいはね、みんな仏 壇最初っからだけど、親方の、うちの親父の仲間は、いろんなの居ましたよ。大工、
建具屋、あとなんだっけな、え? あんなのまでっていうくらい。みんな仏壇がお金 んなったから。で、(昭和)三十年代の半ばからね、四十年代いっぱいくらいまで、
宗教団体がもの凄い勢いで膨張してったから、店が三人も四人も、中に鉢合わせして 、「うちで約束したのに」って、うちの親父は約束して、「約束はしたけど、順番が
まだ来てねえ」ってよくゆってました。で、中には約束しちゃって、もうお金もらっ ちゃってね、向こうから来るとスーッと行っちゃって(笑)、また慌てて作ってね。
まあ、そういう人はもう残ってない。店のほうで淘汰しました。なんだか金もらっと いて、ああいうことすると、それがパアッて広まると、いつの間にか悪くなる。もう
そういう人は、名前消えてっちゃった。まあ、融通の効かないのだけ残っている、あ ははは。(ありがとうございました)
|